俳優パクヨンギュ結婚・離婚・再婚&息子の波乱万丈半生!ゴルフ事業は現在?

 

韓国俳優パクヨンギュ

韓国ドラマのお父さん役と言えばパクヨンギュさん。

「順風産婦人科」のミダリアッパ役で大ブレイクした俳優さんです。

2019年末に4度目の結婚をしたことがニュースとなり、世間を驚かせました!

プロフィール、来歴、パクソジュンとパクヨンギュについて、結婚・離婚・再婚、亡くなった息子さんについて、ゴルフ事業の現在をまとめました。

(トップ画像http://www.nbnnews.co.kr/より)

 

 

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目次

パクヨンギュのプロフィール

1953年10月28日生まれ
忠清南道大田市出身
B型

1974年21歳の時演劇デビュー

 

演技派俳優としてコメディから重厚な時代劇まで非常に幅広い演技で知られています。

また、1989年に歌手としてアルバムを出したこともあり、2016年には声楽家たちと舞台に立つほど歌唱力も抜群です。

来歴

中学高校のときに修学旅行も行けないほど経済的に困難な少年時代を送りました。

15歳の時、新聞配達の仕事をしていてブルドックにかまれ、落ち込んでいた時に担任の先生から

「君は立派な人になるだろうと先生は信じているよ」

と言われ勇気づけられたそうです。

漠然と声楽家になりたいと言う夢を持っていましたが、何の人脈もなく、また家庭の経済的事情からも難しく、機械工高へ進学。

高校を卒業後はアルバイトを転々としながら、1972年(19歳)ソウル芸術専門大学に入学。

1976年に入隊し、除隊後は劇団モクファの創立メンバーとして、俳優として歩みだしました。

この時のことをのちに演技や哲学について多くのことを学び幸せな時代だったと回想しています。

しかし劇団生活はとてもひもじいもので、常に空腹に苦しめられ、肺結核にかかってしまうほど健康状態もよくありませんでした。

28歳の時、体重が42㎏まで減り舞台で気絶してしまったことも。

田舎のお母さんが上京して献身的に看病してくれたそうですが、闘病のため2年間劇団を休みます。しかし経済的な事情からその間も本の営業マンとして働かざるを得なかったそうです。

営業成績がよく、俳優復帰直前には営業部長まで務めるほどでした。

1983年に結婚し、息子さんが誕生。(後述)

劇団に復帰後、1985年MBCドラマ「緑の帽子」でソ・ガプスクさんと夫婦役を演じ、自然で深みのある演技で人気に。

1986年にMBC特別採用タレントに選ばれ、演劇をやめて、以降テレビで活躍するようになります。

1988年(35歳)に出演したドラマがヒットし、パクヨンギュさんもブレイク。

1989年にはアルバム「カメレオン」を発表し、1日に12個のイベントに出演するほど爆発的な人気を享受しました。

その後しばらく人気は落ち着き、1994年に演劇に戻ることに。

1996年(43歳)に離婚。

1997年にデザイナーの女性と再婚。

パクヨンギュさんは真面目で紳士的なイメージが固執していて、それを変えたいと思っていたところ、1998年(45歳)のシットコム「順風産婦人科」が大ヒット!

ミダリのパパ役でのコミカルな演技が愛されイメチェンに成功し、第二の人気を享受しました。

このドラマは20年以上前のものですが、現在も10代の子に視聴され、パクヨンギュといえばミダリのパパと言うほど知られています。

「順風産婦人科」は数々のお笑い番組でパロディが作られ、ミダリパパは国民的なキャラクターとなったのでした。

映画やドラマで再び活躍するも、私生活では2001年に離婚。

離婚の悲しみを乗り越え、MBC,KBS,SBSと大作に出演して演技に没頭しました。

さまざまな役でカメレオンのような変身を見せ、成功を重ねた時代でした。

2004年(51歳)、アメリカに住んでいた息子さんが交通事故で亡くなると言う不幸がありました。

この事故の前に契約していた2004年ドラマ「海神」は気丈にこなしたものの、パクヨンギュさんのショックは大きく、仕事を整理してフィリピンへ。

2005年、結婚し、カナダに移民。

カナダと行き来しながらフィリピンでゴルフ場経営を始め、新しい事業に専念するため俳優業をいったん休止します。

2009年から復帰を模索し始め、かつらメーカーと契約して広告モデルとしてカムバック。

2010年コメディ映画「ガソリンスタンド襲撃事件2」で6年ぶりに俳優復帰し、再起に成功。以降毎年ドラマに出演しています。

2013年ドラマ「オーロラ姫」は出演者が12人もストーリーからいなくなると言うマクチャンな脚本で、パクヨンギュさんの役もそれに入っており、途中降板となりました。

2014年ドラマ「鄭道伝(チョン・ドジョン)」のイ・イニム役で再び人気を享受。

この作品でKBS演技大賞長編ドラマ部門男優演技賞を受賞。

アドリブかと思うような自然なセリフの言い回しで、コミカルで温かみのある演技が人気の俳優さんです。

 

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パクヨンギュとパクソジュン

パクヨンギュと検索するとパクソジュンと言う関連ワードが出てきます。

人気若手俳優パクソジュンさんの本名はパクヨンギュ。

しかしこちらの俳優パクヨンギュさんとはハングル表記が異なり、発音も違います。

俳優パクヨンギュ 박

パクソジュン本名 박

カタカナにすると同じになってしまい、同名のように見えますね。

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パクヨンギュの結婚・離婚・再婚

1度目の結婚

1983年(30歳)、舞台で共演した大学の後輩と結婚。

肺結核を患ったパクヨンギュさんを献身的に看護し、約2年間の交際期間を経てゴールインしました。

生活はとても貧しく、新居の家具はビニールのタンス一つだけだったそうです。

そして結婚してすぐ息子さんが生まれました。

結婚に反対だった奥さんの実家では、息子さんを連れて訪れても門前払いされたとか。

1996年(43歳)、奥さんは子供を留学させることを望んでおり、母子共にアメリカへ。それが事実上の別居となり離婚に至りました。

2度目の結婚

1997年(44歳)3歳年上の有名デザイナー、チェスア(本名チェギョンスクさん)と再婚。

2001年(48歳)、奥さんは癌にかかり、

「健康だった時も妻の役割を努めることができなかった。気楽に闘病したい。あなたも楽にしてあげたい」

と、離婚を宣言し、パクヨンギュさんも受け入れざるを得ずに離婚。

この時離婚は発表されなかったようです。

3度目の結婚

息子さんを亡くした後、2005年(51歳)友人の結婚式で出会ったキムスリュンさんと再婚。

キムスリュンさんも再婚で、前の夫はイヨンエさんの現在の夫チョンホヨンさんです。

前夫が有名であるため、好奇の目にさらされるのを避けようとこの結婚はごく近い人にしか知らされず、世間への発表は2年後となりました。

そして、この方といつ離婚したのか不明ですが、4度目の結婚報道により離婚が明らかになりました。

4度目の結婚

2019年12月25日(66歳)に4回目の再婚!

知人の紹介で知り合った一般人女性で、こぢんまりとした事業をしている方なのだそうです。

 

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パクヨンギュの息子

2004年3月、アメリカに住んでいた息子さんが21歳という若さで亡くなりました。

大陸横断の旅のさなか、バイクの後部座席に乗っていて交通事故に遭ったのでした。

息子さんを失ったショックはあまりに大きく、生きる気力を失い命を絶つことも考えるほど。

「自分が悲しみを乗り越えられずにいたら、息子が申し訳ないと思うだろう。空から見て立派なお父さんだと思ってもらえるようにしようと思った」

とのちに語っていますが、このように思えるまでにどれだけ辛い思いがあったでしょうか。

2014年KBS演技大賞長編ドラマ部門男優演技賞を受賞した際、壇上で息子さんについて触れ、空にいる息子に聞いてほしい、とオペラで祝杯の歌を歌い、涙を誘いました。

「いつも会いたいと思っている、空にいるうちの息子。その息子に一生懸命生きている父親の姿を見せるために、こうやって生きています。自分が一生懸命生きて輝けば、その光が空に届いて、息子がお父さんに会いたいと思った時にすぐに探せるように、私は一生懸命努力してきました。今日はその息子のために一曲歌います。」

この時の動画がこちら

息子さんへのメッセージは6分37秒から、息子さんへの歌は7分46秒あたりから。

2014年はセウォル号沈没事故があった年。

最後は遺族の方を慰めるメッセージで壇上挨拶を終えました。

パクヨンギュさんは息子さんを亡くしてから、同じような経験をした方が大勢いることを知り、

「その方々に対して自分の演技で笑いと希望を与えたい。自分のような境遇にある人々に対してそれが俳優として自分の役割ではないかと思う」

と話していました。

 

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パクヨンギュのゴルフ事業は現在?

上述の通り、パクヨンギュさんは息子さんを亡くした後、2004年51歳の時にフィリピンへ。

そして2005年に韓国人女性と3度目の結婚をして、カナダへ移民します。

その後はカナダをフィリピンを行き来しながら、フィリピンでゴルフ場経営の事業を始めました。

韓国人を対象としたリゾート事業で、俳優業を中断して新しい仕事に専念することは、息子さんを亡くした悲しみを癒すことにもなったようです。

この事業はその後どうなったのでしょうか?2009年、俳優復帰したときのある記事では

「さまざまな訴訟に巻き込まれて事業を整理した」

と書かれていました。すべてを整理しての俳優復帰だったのですね。

 

最後に

パクヨンギュさんは息子さんを亡くした後、コメディ映画で復帰しています。

この作品を乗り越えれば、自分はきっとやっていけると思ったのだとか。

復帰は成功し、現在まで活躍されています。

「昔は貧しかったから、お金のために演技をしていた。今は私のような境遇の人々と明るく肯定的な夢を見たい」

と話していました。

パクヨンギュさんの明るい演技にはこういったメッセージが含まれていたのですね。

 

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