映画「ペパーミントキャンディ」「力道山」「オアシス」など多くの映画で知られる韓国の名優ソルギョングさんを紹介します。
プロフィールと来歴、ソンユナさんとの再婚についてまとめました。
(トップ画像http://www.celuvmedia.com/より)
ソルギョングのプロフィール
薛景求 ソル・ギョング 설경구
1967年5月1日生まれ
忠淸南道舒川郡出生
漢陽大学演劇映画学卒
漠然と演出家を目指し、家族の反対を押し切って浪人時代の終わりに演劇映画学科に願書を出し、無事合格。
大学在学中
「監督になろうとしたら演技もやってみなくちゃいけない」
と言う先輩の言葉に演技を始めることにし、劇団漢陽レパートリーに入団。
大学在学中にKBS公採タレントを受験して3次まで合格しますが、この時期に開かれた演劇祭の演出を頼まれ、受験は放棄したそうです。
大学卒業後は劇団漢陽レパートリーを辞め、大学の先輩にお願いして演劇のポスター貼りなどの仕事を手伝うように。
あまりの一生懸命ぶりに演出家のキム・ミンギ氏の目に留まり、「ミュージカル地下鉄1号線」にキャスティングされました。
「ペパーミントキャンディー」
2000年、イ・チャンドン監督のペパーミントキャンディで映画デビュー。
この前にもいくつかの映画に出演経験はありましたが、ほとんど無名で、この作品が映画デビュー作と言われています。
この映画の主演は4000倍の倍率だと聞いていて、積極的な性格でもないため、もともとオーディションもあまり受けておらず、ペパーミント~も自分が出るものではないと思っていたそうです。
ところがある日、イチャンドン監督からじきじきに電話が来ました。
「この作品やりたい?」
「やりたいけど、自分には(あまりに大きい役で)できそうにありません」
と言うのも、この作品は最初から最後まで主人公の人生を追うもので、主人公が出ずっぱりだからです。
自分には無理だと思いましたが、オーディションの結果
「この役をできるのは君しかいない」
と言われ、主演に抜擢されました。しかし自信が持てず、10日間返事をしなかったとか。。。
その間、ずっと連絡が来て早く返事をしろと催促されました。
「イチャンドン監督とご一緒できる機会はもうないだろう。これで俳優をやめてもいい。最後の作品になってもいい」
そんな気持ちでやる覚悟を決めたそうです。
実は監督はそんな自信がなさそうな感じがぴったりだと思ったそうで、キャスティングしたのでした。
映画は大成功し、ソルギョングの名は一躍有名となりました。
この時監督から「次の作品も一緒にやろう」と言われ、2002年映画「オアシス」主演を務めることになったのでした。
2002年は「オアシス」ほか、「公共の敵」「光復節特使」などで活躍し、10個の主演男優賞を受賞。
飛躍の年となり、2003年「シルミド」は観客動員数1000万人を突破し興行俳優としての地位を確立しました。
2004年「力道山」
この映画は日韓共同制作で、プロレスラーの力道山を主人公にした映画です。
力道山役のソルギョングさん以外は出演はほとんど日本人俳優ばかり。
このために30㎏増量。
プロレスのトレーニングもとてもしんどいものでしたが、日本語のセリフを覚えるのに苦労し、自分の日本語が伝わらない悪夢をよく見たそうです。
この次の作品のために1カ月に14㎏減量しなければならず、増量したり減量したり、プロレスを習ったり日本語をやったり、とても大変な役だったそうで、この作品は以降の作品選びに大きな基準となったようです。
その後2009年「TSUNAMI -ツナミ-」は観客動員数1145万人となり、2022年時点で出演作の中で最も大きな人気を呼んだ作品となりました。
2017年「名もなき野良犬の輪舞」
イムシワンさんと主演と務めたこの映画は興行面では成功しませんでしたが、セクシーな中年美で多くのファンを作ったという点でターニングポイントになったと言われる作品です。
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ソルギョングのドラマ出演
映画俳優として知られていて、ドラマ作品と言うと思い浮かぶものが何もありません。
出演履歴を見ると
1994 MBC 大きいお姉さん
1995 MBC 思春期(2話のみの出演)
2001 NHK 聖徳太子
他に端役で3作ほど出演したそうですが、履歴にあるのはこれだけです。
日本ドラマ「聖徳太子」は本木雅弘主演で、ソルギョングさんは新羅人の伊真(イシン)役をつとめました。
ドラマの監督がペパーミントキャンディを見て、ソルギョングさんをキャスティングしたそうです。
ドラマは2部作で映画のような作りだったそうで、ご本人はとても面白かったと話していました。
ドラマ「突風」
2023年はドラマ「突風」に出演が決まっています。
このドラマはパク・ギョンス作家の復帰作で、大統領権限代行を引き受けた国務総理をめぐる政治ドラマ。
ソルギョングさんにとって初主演ドラマとなります。
ドラマは放送日程に合わせて忙しく撮影スケジュールが組まれ、作品性が重視されないため、映画俳優はドラマ出演を忌避する傾向がありました。
しかしそういった韓国ドラマ事情も変化し、膨大な海外資本が投資され、放送日程に追われない事前制作が定着。
それにより作品のクオリティを保証できるようになりました。
また、近年映画制作陣がドラマに移り、両域を拡大。
映画とドラマの境界線がなくなり、撮影現場は映画と変わらなくなりました。
ある芸能関係者によると
「映画制作会社の中でドラマ制作をしないところを見つけるのが難しい。 もう”自分は映画だけ出演する”という考えをする俳優はいないだろう」
とのこと。
ソルギョングさんがドラマ出演を決めた理由についてははこういった背景があるのではないでしょうか。
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妻ソンユナとの再婚に批判?
ソルギョングさんは演劇俳優時代だった1996年に俳優アンネサンさんの妹さんと結婚。
演劇時代の友達だったアンネサンさんを通じて妹さんと結婚することになったとのことですが、ソルギョングさんが一目ぼれしたとも言われています。
それにしても妹を紹介するぐらいだから相当信頼関係があったのでしょうね。
義兄となったアンネサンさんとは2002年映画「オアシス」で共演しています。
結婚後、1997年に娘さんが誕生しますが、10年後の2006年に離婚。
奥さんと娘さんは2002年から2005年までカナダに移住していて、その間別居していたわけですが、韓国に帰国後も同居することはなく離婚に至りました。
のちにわかったことですが、離婚の際、ソルギョングさんは財産のほとんどを奥さんと娘さん渡したそうです。
ソンユナと再婚
その後、2009年に6歳年下のソンユナさんと再婚。
2002年「光復節特赦」
二人は2002年映画「光復節特赦」の共演。
この時二人は不倫関係にある、という噂が立ちますが、当時は信憑性がなくあまり話題にもならず終わりました。
2006年映画「愛を逃す」で再共演。
2006年「愛を逃す」
翌2007年から交際に至り、2009年に結婚し、離婚からだいぶ時間が経っての結婚だったため何の問題もないように思われましたが、前妻の姉だと名乗る人がネットに二人は略奪愛だという内容の文面を投稿。それは
「4年間の別居と言うのもソルギョングの一方的な家出に過ぎず、2年間元妻に対して離婚を要求し、娘の親権と養育権まで妻に渡した。」
といった内容で、それらを信じたネチズンによって拡散され、不倫だと言われることとなりました。
※この投稿はのちに削除されますが、つじつまの合わない部分が多く、本当に元妻の姉のものであるかどうかの確認は取れていません。
ソンユナさんは女優としてとてもいいイメージを持たれていたのに、この結婚により世間では悪いイメージしかなくなってしまい、そのことでソルギョングさんもとても胸を痛めたそうです。
世間から何と言われようとご本人たちは「我慢しよう」とインタビューにも答えませんでした。
前妻との間の娘もいることから、むやみに話さないほうがいいのではないか、との思いでしたが徐々にことが大きくなり、そのうちタイミングを逃してしまい、結局4年間ノーコメントを貫くことに。
その間に世間にはまるで真実であるかのように信じられていきました。
ソンユナさんもノイローゼになるほどつらい日々で、体の調子も悪くなり通院するように。
2013年にソルギョングさんがトーク番組に出演した時に、これらの心情を吐露。
初めてこの問題にコメントすることになりました。
ソルギョングさんは娘に父親として何もしてあげられなかったとの思いがあり、そんな自分だから再婚も全く考えていなかったとか。
ソンユナさんと付き合うことになったのもとても自然な流れで、どちらからと言うこともなかったそうです。
プロポーズもしないまま結婚することになりましたが、ソンユナさんは一人娘でご両親は大反対でした。
ソンユナさんに「こんな俺のどこがいいの?」と聞くと「わからない」と言われるのだとか。
結婚するときにソルギョングさんはソンユナさんに
「子供は作れないよ。子供が生まれてもその子にとっていい父親になる自信がない。傷つけてしまった子がいるから」
と伝えたそうです。
ソンユナさんはすべてを理解したうえで結婚を決めたのでしょう。
子供は作らないというつもりでしたが、子宝に恵まれ2010年8月に息子さんが誕生しています。
元妻との娘(1997年生まれ)は中学、高校を韓国で卒業し、その後アメリカに留学したそうです。
ソルギョングさんはインタビューで
「娘は芸術学部だからお金がたくさんかかる。私は本当に一生懸命働かなくちゃいけない」
と話したことがあります。離婚後も娘さんとはいい関係を築けていたのではないでしょうか。
最後に
1998年に亡くなったユ・ヨンギル撮影監督は
「からっぽのいい顔。乞食から社長までなんでもできる顔」
とソルギョングさんを絶賛していたそうです。
不倫だとか略奪愛だとか言われても沈黙を貫いて下手にコメントしなかったというのは大人の対応ですよね。
すべての人が理解できるように全部を話すわけにもいかないですし、やはり誤解されても当人同士がわかっていればいいことで、娘さんも理解してくれたのではないでしょうか。
妻ソンユナのプロフィール↓
元義兄アンネサンのプロフィール↓