キムヘスク現在と若い頃の美人画像!夫とは離婚?ドラマ共演者との秘話!

 

キムヘスク韓国女優

韓国ドラマ好きな方なら、キムヘスクさんはご存知でしょう。

数々のドラマでお母さん役を務める国民的オモニですよね。

プロフィール、来歴、若い頃の画像、夫や子供について、親子役を務めた俳優とのエピソードなどをまとめました。

(トップ画像https://entertain.naver.com/より)

 

 

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目次

キムヘスクプロフィール

김해숙(金海淑) キム・ヘスク

1955年12月30日生まれ

釜山市出身

158㎝
B型

看護学校中退

キムヘスクさんと言えば国民的オモニと言われるほど、各ドラマで印象的なお母さんを多く務めました。

今より少し若い時は母親役ばかりであることに女優としての存在感がないのではないかと悩んだこともありました。

しかし、いつからか「母親」自体が一つのジャンルのように思え、母親の存在の偉大さを感じて光栄に思うようになったそうです。

母親役以外にも演技の幅が非常に広く、また映画ではドラマとは違った役を多く務めており、犯罪者や残忍な母親、泥棒、喫茶店のマダムなどどれも強いインパクトを残しています。

キムヘスク”死亡”とは?

2019年「世界で一番可愛い私の娘」は母親と3人の娘の愛憎を描いた長編ドラマ。

キムヘスクさんが演じた母親役は亡くなってしまうストーリー。「キムヘスク 死亡」という検索ワードがあるのはそのためです。

 

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キムヘスクの若い頃

キムヘスクさんは一人っ子で、1歳のころお父さんを亡くし、お母さんは再婚せず一人で育ててくださいました。

親戚もおらず、本当にお母さんと二人きりだったそうです。

お母さんは娘をピアニストにしたいと考え、5歳から教室に通わせました。

キムヘスクさんはピアノの他、小学5年生の時にはKBS子供合唱団の団員として活動したり、教会の独唱大会では1位に選ばれたり音楽の素質があったようです。

学生時代は常に男子学生の視線を感じるほど美人で、放送部に入りアナウンサーや声優などの活動をして華やかに過ごしていました。

キムヘスク若い頃ヒーリングキャンプ番組キャプチャー

高校の音楽の先生に勧められて声楽を専攻しようとしましたが、大学は不合格になり、浪人することに。

真面目に勉強せず、友達と4人で街をぶらついていたところ行列を発見!

何の騒ぎかとみてみると「1974年MBC公募採用タレント募集」をしていたところでした。

何となく列に並んで順番が来て、何となく挑戦したところ、放送部の経験が生きたのか合格。(お友達二人は落選)

600倍の競争率を突破して2次審査へ。

当時、芸能人といえば韓国社会では見下される職業だったため、お母さんは反対すると思われましたが、本人の意思を尊重して2次審査のための素敵なワンピースを買ってくださったそうです。

こうして2次審査も合格してMBCタレント7期として芸能界に入りました。

お母さんは元々とても厳しく、20歳を過ぎても門限は20時と決まっており、夜遊びしたかったキムヘスクさんはある時ナイトクラブで遊び、朝帰りしました。

叱られる覚悟で帰宅すると、お母さんは泣きながら

「もう少ししたらあなたも結婚するだろう。片親の一人っ子で芸能人というあなたを世間はどんな風に見るだろうか?母親として好きにさせてあげたいけど、そんな風にさせてあげられないのが申し訳なくて胸が痛む。いい人と結婚して幸せになって欲しい。そう思ったらこうせざるを得ない。その母親の気持ちを理解して欲しい」

と話したのだそうです。

当時は男がいない家に対する世間の目が冷たかったことや、芸能人を軽蔑するような風潮もありました。

この時初めてお母さんの気持ちを知り、夜遊びはやめたのでした。

キムヘスクの女優としての歩み

キムヘスク若い頃ヒーリングキャンプ番組キャプチャー

デビュー作となった1974年のドラマ「第三教室」は主人公の友達役として出演予定でしたが、台本を見てどうしても主人公がやりたくなりイビョンフンPD(のちにチャングムの誓いを制作した監督)に直談判。

「主人公はもうすでに決まっているから無理」というイビョンフンPDに、うまくやれる自信があると主張。

普段大人しいキムヘスクさんがこれだけ言うのだから、と主人公に抜擢され、ドラマは成功しました。

そして間もなく結婚します。(結婚・夫と子供についての項目へ続く)

 

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キムヘスクの結婚・夫と子供について

キムヘスクさんは二人の娘さんがいますが、実はご主人とは死別しています。

ご主人は病気で亡くなったとのことで、キムヘスクさんご自身がこのことをほとんど語らないため、ご主人の職業や亡くなった時期、具体的な病名などは明らかではありません。

キムヘスクさんが40代で事業に失敗したときにはもう他界されていたとのことですので、20代か30代のうちにご主人を亡くしたのではないかと推測されます。

結婚と女優の仕事

1978年、キムヘスクさんが24歳(韓国年齢)の時に結婚。

しばらくは家庭に入り、主婦業に専念していました。

家で同期たちの活躍やドラマを見ながら「自分だったら・・・」という思いで演技への欲が膨らんでいったそうです。

そして長女出産後にイビョンフンPDの元へ行き、また女優をやりたいと話すと

「ちゃんと子供を育てろ」

と一蹴されてしまいます。女優はロマンスの相手であり、結婚したらもう終わり、主婦が芸能人として活動するというのは考えられない時代でした。

こういった反対を無視して、役がなくてもMBCに毎日出社。

キムヘスクさんご自身は当時を振り返って「結婚してさらにずうずうしくなった」と回想しています。

キムヘスク若い頃化粧品モデルを務めたキムヘスク
(ヒーリングキャンプ番組キャプチャー)

そうしているうちに役をもらえるようになり、主婦でありながら化粧品モデルに抜擢されたことも。

女優としてまた仕事が波に乗ってきたころ、第二子妊娠が発覚。

子供がいる既婚女優がここまで認められるのにとても苦労したのに、また出産したら次はもう復帰できないだろうとの思いから女優か家庭かで大きく悩み、イビョンフンPDにだけ内緒で相談。

するとそれは俺に相談することじゃないだろう、と叱咤されてしまいます。

イビョンフンPDからその話を聞いたMBC局長から電話があり、妊娠は本当かと尋ねられると、キムヘスクさんはとっさに嘘をついてしまいました。

結局妊娠を明かさないまま女優をしていましたが、徐々に大きくなるお腹は隠し通せるわけもありません。

それでも事実を言うことはできず、秘密を守るため、また出産のために電話番号と連絡先をすべて替えて勝手に隠遁生活へ。

一度ついた嘘を通すために嘘をつき続けることになり、事態が大きくなっていくのがとても恐ろしく、夜も眠れないほどだったそうです。

この時、真実を話さずに急に出て来なくなったキムヘスクさんは会社の信用を失ってしまいました。

次女を出産して1年ほどは育児に専念しましたが、また女優がしたくなり隠遁生活2年を経て出社。

勝手に来なくなった人がまた都合よく出てきて・・・この時社内では誰も相手にしてくれなかったそうです。

自分はもう芸能生活は終わりだ、と思った時運よくパクチョルPDに「端役でもいいか?」と声をかけられ快諾。

のちに主役だったことがわかり、1980年ドラマ「百年之客」の主演でドラマ復帰しました。

このドラマが大ヒット!主人公ジョンアを演じたキムヘスクさんのヘアスタイルがたちまち人気となりブームを巻き起こしました。

この時キムヘスクさんは脚光を浴び、世間の関心を集める中で初めて「既婚者であり子供が二人いる」ことを公式に発表。

秘密にしていたわけではありませんでしたが、それまでは聞かれることもなかったとかで、それだけこのドラマで初めて大衆の注目を浴びたと言えるでしょう。

女優復帰に成功して数々のドラマに出演し、40代になってからパーティもできる大きなビュッフェを経営するなど事業にも乗り出しました。

女優としての仕事に少し不満がありスランプに陥っていたこともあって、1年以上女優業から離れレストラン経営の面白さにのめり込んでいきました。

経営が傾き始めても、きっと大丈夫だろうとの思いで店を閉めることができず、損害は膨れ上がり結果として莫大な借金を抱えることに

2つ持っていた家を手放しても、到底返せる金額ではなく、取り立て屋に脅迫され、電話やインターホンの音におびえながら暮らしたそうです。

それ以来、どんな小さな仕事でもお金になることはすべてやり、地方の小さなイベントで歌ったり、ナイトクラブで歌ったり・・・。

あまりのみじめな自分にたくさん泣いたそうです。

こうして借金返済のためにがむしゃらに働き、40代の記憶はほとんどないと言います。(※1995~2004年がキムヘスクさんの40代)

しかしこの時の経験が自分の人生や考えを大きく変え、これがなければ今の女優キムヘスクはいないだろうとのこと。

ご自身のこれまでの歩みが、演技に大きく影響しているに違いありません。

 

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ドラマで親子役を務めた俳優とのエピソード

周知のとおり、キムヘスクさんはペヨンジュン、チャンドンゴン、チェジウ、チェダニエル、ソジソプさんなど韓流スターたちのお母さんを務めました。

ユアインさんやウォンビンさんは、キムヘスクさんについて

「息子役を演じた自分に”ちゃんとご飯食べてるの?”と声をかけてくれたり、食べ物を送ってくれたり、本当のお母さんのようだった」

と話しています。

キムヘスクさんはご自身に息子がいないせいもあってか、息子役を演じた俳優に情がわき、本当の子供のように感じられるそうです。

2003年映画「ブラザー」では主演のウォンビンさんが、2005年映画「僕の、世界の中心は、君だ。」ではソンヘギョさんが、それぞれキムヘスクさんをオモニ役に指名したとのこと。

俳優さんからお母さん役に指名されるほど、現場でもとても愛された方なのですね。

ちなみにチョインソンさんもドラマのお母さん役に指名したそうですが、都合が合わずこれまで共演はないとのこと。

それでもその時に自分との共演を望んだチョインソンさんに情を感じて兵役中の面会に行ったのだそうです。

 

最後に

キムヘスクさんのこれまでのインタビューやトーク番組で語ったご自身の経歴をまとめました。

「看護学校中退」とナムウィキにありましたが、このトーク番組では看護学校の話はなく、他のインタビューでもそれについて言及しているところは見つかりませんでした。

ご本人が省略したのか、ナムウィキの方が誤っているのか定かではありません。

ご主人が亡くなったということを、トーク番組の司会者は知らなかったようで、事業の失敗で多額の借金を背負って苦労したという話の時に

「その時ご主人はどのように?(助けてくださったんですか)」

と尋ねると、キムヘスクさんはとても言いにくそうに

「自分で作った借金だから自分の責任。主人はいなかったの・・・病気で・・・もう・・・この世の人ではなかったから」

と話しました。それ以降ご主人の話題に触れることもなく、とても苦労したこれまでの半生を穏やかに、冗談も交えて面白可笑しく語っていました。

その中で「私は本当に図々しくて」というフレーズが何度も出てきます。

韓国ドラマより韓国ドラマみたいな半生で、苦労して様々な感情を経験したからこそ、国民的オモニと呼ばれる大女優になったのだなと思いました。

 

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