映画「シュリ」「オールドボーイ」「悪魔を見た」などの名作で知られるチェミンシク。
「カジノ」で20年ぶりのドラマ出演が話題となりました。
プロフィール、若い頃から現在までの来歴、ハンソッキュとの仲、演技力、結婚と離婚、再婚の妻についてまとめました。
(トップ画像https://n.news.naver.com/より)
チェミンシクのプロフィール
チェ・ミンシク 최민식 崔岷植
1962年4月27日生まれ
ソウル市出身
177㎝
B型
4人兄弟の2番目
東国大学校芸術大学演劇映画科
子供時代
小3のとき、結核にかかりひどく吐血したり気絶したり、医者からは死を覚悟するように言われるほど重症だったそうです。
元看護士で仏教徒の母の勧めで寺に入ってそこで静養。
母の看護と寺での生活で1カ月ほどして吐血しなくなり、身体が回復するのを感じました。
学校は1年休んで治療に専念し、完治したそうです。
映画と演劇に熱中した高校時代
高校生の時、学校をさぼる目的で映画館に入り浸っていたとか。
当時はチケットを一枚買えば、一日中いても何とも言われず、映画を観たり居眠りをしたり・・・。
そんな中、1976年のアメリカの映画「スター誕生」を観て映画の面白さを知りはまっていきました。
高校生の時初めてみた演劇は舞台の上の照明、音楽、俳優たちの動き、劇場の匂い・・・いったいこれは何だろう?と新世界に衝撃を受けたそうです。
高校生には演劇のチケットは少し高かったため、頻繁に劇場に行くことはできませんでしたが、お金を貯めては見に行くように。
高校生の時は俳優になることは考えておらず、演出家など映画制作の仕事をしたいと思っていました。
大学は東国大学校芸術大学演劇映画科に進学。
大学生時代
初めて主演を務めた大学の卒業公演の前日、お酒を飲みすぎて悪酔いし、高熱を出して急性肺炎にかかってしまいました。
ドクターストップにもかかわらず何とか舞台に立とうとしますが結局起き上がることができず、その公演は中止に。
尊敬していた大学の先生から「おまえは俳優をするな。そんな資格はない」と言われ、罪悪感と悔しさで涙が止まらなかったそうです。
どうにか回復に努め、10日後に公演をすることができました。
大学時代から高い演技力で評判だったチェミンシクは、卒業後演劇舞台で活躍。
1989年(27歳)KBS「野望の歳月」でテレビドラマデビュー。
以降、7~8年間は毎年ドラマ出演しており、主演も務めていました。
1997年の出演を最後に活動の場を映画に絞っており、2022年「カジノ」は26年ぶりのドラマ出演とあって、大変話題となりました。
チェミンシクの映画
1989年ドラマデビューの年に、スクリーンでも主演デビューしています。
毎年映画出演し、1999年「シュリ」(観客動員数620万人)は国内外で大ヒット!
代表的な作品は以下です
2001年(39歳)「パイラン」(22万人)
2003年(41歳)「オールドボーイ」(326万人)
2010年(48歳)「悪魔を見た」(184万人)
2013年(51歳)「新しき世界」(468万人)
2014年(52歳)「バトルオーシャン海上決戦」(1761万人)
2019年(57歳)「世宗大王 星を追う者たち」(200万人)
2022年(60歳)「不思議の国の数学者」(52万人)
2021年からは所属事務所なく、マネージャーもなしでフリーで活動しているそうです。
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チェミンシクの演技力
新人の頃からとびぬけた演技力で注目され、無名時代と呼べる時代はなかったようです。
大学卒業公演ですでに国内の演劇界でも好評を受けており、テレビや映画に出演後も高い評価を受けてきました。
チェミンシクの演技スタイルはメソッド演技と呼ばれる、まさに【役そのものになりきってしまう】というもの。
そのためチンピラ役を務めた映画「パイラン」撮影時は、私生活でも同じような雰囲気だった、という知人たちの目撃談があります。
映画「悪魔を見た」では凶悪な殺人鬼を演じるため、連続殺人事件を担当していた刑事に会って話を聞くことができました。
その過程で、連続殺人犯と直接面会できる機会ができましたが
「殺人鬼の人格を自分自身が吸収してしまいそうだから」
という理由で拒絶。
こういった役者魂のために、殺人鬼役はとても精神的につらいもので、もう二度と殺人者の役はやらないと心に誓ったとか。
映画「パイラン」のソン・ヘソン監督はチェミンシクについて
「彼は撮影が進むごとに、その役そのものになる。」
と評価し、撮影中のエピソードについては
「2時間前から待機し、撮影が終わってもすべてのスタッフが撤収するまで現場に残る俳優」
「スタッフの名前を全部覚えている」
と明かしています。
怖そうなイメージがありますが、実際はとてもひょうきんで明るいんだそうです。
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ハンソッキュとの仲
大学の後輩だったハンソッキュとは、学生時代から仲が良かったそうです。
1994年ドラマ「ソウルの月」で共演し、最高視聴率48.7%を記録。
シュリ
1999年映画「シュリ」ではソンガンホとも共演。
この映画は世界的な脚光を浴び、韓国映画史はシュリの前後に分けて考えられるほど、大きな基準となりました。
世宗大王 星を追う者たち
2020年映画「世宗大王 星を追う者たち」で約20年ぶりの再共演は大変話題となりました。
共演は長年の友人関係であるだけに以心伝心、阿吽の呼吸で、素晴らしい演技ができたのだそうです。
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チェミンシクが選ぶ自身の最高傑作とは?
2014年主演映画「バトルオーシャン海上決戦」は韓国映画興行1位を記録した作品ですが、そのことについて
「思い出に酔って生きたりはしない」
「興行成績は気にしてない」
と、観客数を気にするのではなく、演技に集中してほしい旨をクールに答えています。
パイラン
そんなチェミンシクが「パイラン」を自身の出演作でもっとも最高作と位置付けています。
一度も会ったことも話したこともない男女が愛し合うようになる過程を描いた2001年映画。
これはチェミンシク唯一のメロ作品と言えるかもしれません。
原作は浅田次郎の短編小説「ラブ・レター」で、共演女優は香港のセシリア・チャン。
撮影は極寒期の海で行われ、水に入るシーンが多かったセシリア・チャンはこんな過酷な撮影は契約違反だと言って拒み、撮影がとても困難だったというエピソードが有名です。
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チェミンシクの初恋
初恋のエピソードが素敵だったので紹介します。
初恋は高校1年生の時、公園で本を読んでいた女の子がとても素敵で声をかけてみると、同じ年齢で近所の女子高の生徒だとわかりました。
「ご飯食べた?まだなら一緒に食べよう」
と、誘ってそれから会うようになり交際がスタート。
一緒に映画や演劇を観に行きながら、彼女も関心を持つようになり「彼女は演じる側で、自分は監督をして・・・」二人はそんな夢を描き、同じ大学へ行くことを目指しました。
大学進学を控えた高校3年生の時、受験に専念するためしばらく連絡を取らないことにして、6か月後に会おう!と約束。
あまりにも会いたくなって、以前一緒に行ったカフェに行ってみると・・・
彼女は他の男と一緒にいました。
目が合った瞬間、慌てた様子の彼女。その態度がすべてを物語っていました。
何も言わずそのまま帰ってきて、何日もたくさん泣きました。
話を聞いてほしい、と彼女が家に来ましたが「話はない。終わりだ」と言って決別。
その後、大学入試の日、彼女と再会。
長かった髪をバッサリ切った彼女は一瞬誰だかわかりませんでしたが、彼女は
「試験頑張ってね」
とだけ言って行ってしまいました。
合格発表の日、淡い気持ちを持って見に行くと彼女の名前はなく、やはり彼女とは縁がなかったのだと思ったそうです。
キムミンシクは合格して、東国大学演劇映画科に進学。
1年生の秋、校内公演のチラシを貼りに行ったソウル芸術大で彼女に再会しました。
とてもうれしかったものの、声をかけることはせず、彼女は女優にならなかったのかそれ以降みかけることはなかったそうです。
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チェミンシクの結婚・離婚・再婚
元妻で女優のイファヨン
演劇時代、共演の女優イ・ファヨンと交際に発展し1990年に結婚。
二人の間にはお子さんはおらず、1996年に離婚。
その理由については「性格の不一致」と知られています。
元妻のイファヨンは離婚後に渡米。
2013年に演劇舞台に復帰して以降、ドラマ「偽りの雫」「あなたはひどいです」「マザー」などに出演しています。
チェミンシクの再婚
所属事務所代表の紹介で8歳年下のキムファルランさんと出会い、約1年半の交際の末1999年、再婚。
1999年と言えば、映画「シュリ」の大ヒットでチェミンシクの株が高かった時期。
男性主演賞、最優秀演技賞を受賞するたびに一番先に彼女に電話し、その喜びを共有したそうでこの過程で「この人と一生を共にできる」と確信したんだそうです。
奥さんは一般人であるため、お顔は公開されていませんでしたが、映画「オールドボーイ」でカンヌ国際映画祭の際に、ともにレッドカーペットに登場しました。
カンヌ国際映画祭で
奥さんはバレリーナ出身で、映画人たちが集まる公式な場に同行しているようです。
当然、世間は奥さんへの関心がありインタビューを試みていますが、チェミンシクが「私たちの家庭より映画に関心を持って頂きたい」と断ったことも・・・。
そのため普段から家庭についてはほとんど語ることはありません。
二人の間にはお子さんはいないようです。
最後に
彼は演劇の舞台についてこう表現しています。
「私には団体活動の礼節と作品に取り組む姿勢を教えてくれた故郷のようなところ」
演劇はテレビ・映画出演以降、極端に減って最後の舞台が2007年となっています。
映画の名セリフやインタビューでの名言なども多く、韓国では偉大過ぎる俳優で、多くの俳優が憧れの人に挙げています。
1962年生まれで、2023年時点で61歳になる年齢なんですが、貫禄があるので筆者はもっと高齢なのかなと思ってました!
チェミンシク出演作↓