韓国は大学進学率が80パーセント以上で、世界最高と言われています。
幼い頃から両親の教育熱はすさまじく、教育費を惜しまずたくさんの習い事をさせ、有名大学にいくために何百万円ものお金をつぎ込んで塾に通わせます。
そういったニーズに合わせ、塾やインターネット講座、家庭教師や教材の種類も多く、選びたい放題。送迎バスつきの塾なんて当たり前です。
勉強熱心で勉強したいだけできる環境であるにもかかわらず、なぜノーベル賞受賞者がいないのでしょうか?
韓国人の反応とともに、在韓暦15年で韓国で子供を学校に通わせている筆者が考察します。
※2000年に金大中元大統領がノーベル平和賞を受賞していますが、今回の内容は学術的な意味でのノーベル賞について、です。
他の分野での韓国人の活躍
ノーベル賞の前に、韓国のほかの分野はどうなのか、みてみましょう。
【オリンピック】
リオオリンピック 国別メダルランキングでは1位から米国、英国、中国と続き、日本6位、韓国は8位でした。
2012年 ロンドン五輪では韓国5位、日本11位。2014年ソチ五輪では韓国13位、日本は17位でした。(公式ランキングでは金メダルの数でランキングが決まります)
韓国は日本よりスポーツ人口が少ないことを踏まえると、底辺の割合に対して頂点が高く、世界レベルで好成績を残していることがいかにすごいことなのかわかります。
【数学オリンピック】
2017年7月に行われた「国際数学オリンピック(IMO)」で、韓国は代表の高校生6人全員が金メダルを獲得し、国別順位で1位(111カ国中)になりました。
韓国の1位獲得は2012年以来5年ぶりとは言え、2016年は2位、2015年は3位の成績だったのですから、毎年上位にランクインしているのです。
国際物理オリンピック、国際化学オリンピックでも毎年優秀な成績を修めています。
【ピアノコンクール】
近年、国際的なピアノコンクールで1位を獲るなど、韓国のピアニストが世界で評価されています。
すでに10年以上前から韓国の音楽家の優秀さはピアノのみならず声楽、バイオリンでも評判だとの声も。
このように世界レベルで評価される韓国人も大勢いるのに、ノーベル賞受賞者がゼロなのはなぜなのでしょうか?
ノーベル賞受賞者がなぜいないの?
在韓歴10年以上の周りの日本人に尋ねてみると
- 韓国人は気が短いから、コツコツ続けられない
- 結果を重視するから、すぐに結果に結びつかないとあきらめる
- 政府や企業がお金になるかわからないものに支援しない
- 一方的に教えるだけで考える力を育てない
- 個性的な考えを尊重しない
などの意見がありました。
韓国人はどう考えているのでしょうか?韓国のネイバー知識IN(知恵袋)で、「日本は受賞者が多いのに、韓国はなぜいない?」という質問が多数あり、その回答を紹介します。
- 韓国は応用科学のみ優先して、日本は基礎科学を優先するから
- 国が支援しないから
- 科学技術分野は、何よりも創造性が要求されるのに、詰め込みと画一教育のために、学生が創造性を発揮する機会さえ与えられてない
- 学歴とお金を重視する風土のせい。試験の成績と大学、そして安定した職業のためだけに勉強をするとお金にならない基礎学問(物理学、化学などの理学系)は軽視され、すぐにお金になるアプリケーション分野(機械工学、新素材工学など工学系)のみ重視されるから
という意見が見られました。
大手新聞社はどうでしょうか
- 国からの支援金は2・3年後に明らかな成果が期待できる分野にのみ投資され、新しいテーマに挑戦するよりも、すでに開拓された分野に便乗し、研究実績を断片的に発表し計量的成果を立証する研究ばかりされているから(朝鮮日報)
という社説がありました。
ミシガン州立大のロバート・ルート・バーンスタイン教授はなぜ韓国人は科学分野でノーベル賞をとれないのか、と聞かれ
「その理由は2つある。ひとつは”知っていることに意義を唱えて挑戦しない”こと。ほとんどすべての偉大な発見と発明は基本前提を逆に考えてみることから始まる。二つ目は多くの発見者や発明者は博学で、2つ以上の分野について専門的な訓練を受けた人だ。多方面に知識がなければ発見や発明はない。韓国人は単一の専門分野に閉じ込められている」(参考:http://japanese.joins.com)
と答えています。実際に在韓外国人の間で「韓国人は思考パターンが同じ」だとよく言われています。
ここまでは一般的によく言われていることで、どれも理由のひとつとして納得できます。
教育の現場は?
ここからは視点を変えて、教育の現場から考察したいと思います。
【家庭教育】
韓国で育児をしておよそ10年。韓国での育児で日ごろ思うのは、「ご褒美教育」が根付いているということ。
言うことを聞かない子供にお菓子や物で釣ることはお母さんならしたことはあると思います。公共の場で大人しくさせるアイテムとしてお菓子が必要なときもあります。
しかし韓国では家庭内でも日常的にご褒美制度を導入しており、食事の場で「残さないで食べたら」「野菜を食べたら」チョコレートあげるといって食べさせている光景をよくみます。
大きくなればご褒美で釣って勉強させるのは韓国では普通のことです。これは餌付けと言えるのではないでしょうか。
【学校教育】
・行事が少ない、他学年との交流がない
日本の学校と大きく違うのは行事が少ないこと。春と秋の遠足、高学年の修学旅行は同じですが、小学校では運動会は学芸会とそれぞれ交互に2年に一回ずつ。
規模も日本に比べて非常に小さく盛り上がりに欠けます。運動会の練習は学年ごとのマスゲームだけ。
リレーなんかは全くのぶっつけ本番なので、バトンパスが下手すぎてみていられません。行事の準備に時間を割きません。
1年生を迎える会、6年生を送る会なんていうのもなし。給食の配膳や掃除の仕方を高学年が教えてくれるということもなく、他学年との交流が全くありません。
全校集会といって校庭に集まることもないので、同じ学校にいながら全く関係なく過ごしています。
クラスごとのお楽しみ会もなし。引っ越す友達の送別会なんてのもなし。動物も飼ってないから飼育当番もなし。登校班もありません。
日本の学校は行事などを通じて経験するすべてのことが子供たちのためになると考えているように思います。
机に向かう勉強だけでなく、掃除や給食の配膳、動物の世話、他学年との交流などから学びのチャンスがたくさんあります。
韓国は知識を詰め込むだけで興味を引き出すことも、知識を生かす機会もありません。
子供たちが考えて、工夫を凝らして何かをするということがないのです。
・教育の場でもせっかち
韓国人自身も認めるように、非常にせっかちで、先生(大人)は子供が自分で答えを導き出せるまで待てないという現場をよく見ます。
先生は少し考える時間を与えたかと思ったらすぐ答えを言ってしまい、子供はそれを書き写すだけ。
それを繰り返すうちに、黙っていればそのうち先生が答えを言うだろうと思い、何も考えなくなり、答えさえ合っていればいい、と思うようになります。
・学校でもご褒美にお菓子
そしてこれもせっかちがゆえんと思われますが、上述の家庭教育と同じように学校教育の場でも堂々と「餌付け」がされています。
幼稚園や保育園でさえも「片づけができたら」「先生の言うとおりにしたら」ご褒美としてお菓子(先生のポケットマネーでわざわざ)をくれるのです。
教育について学んでいるはずの先生が、そのように子供を楽に操る方法として当たり前のようにやっています。
小学校に入ると先生は何かにつけポイントを与え、それがたまるとお菓子をくれます。
期日以内に提出できなかったら注意されるのではなく、期日を守るとポイントがもらえる。できないともらえないだけ。
授業中の態度が悪ければポイントがマイナスされ、何をすると2点プラスだなんだと子供たちはかなり執着させられており、誰が点数が多い少ないだと競争させられるのです。
「餌付け」教育を問題視する声はどこにもないどころか、韓国では「成果報酬」と考えているようです。
何かしたことについては対価が必要だと。
【成果報酬を与える教育を続けると?】
このような教育を続けるとどうなるのでしょうか?
以前、大勢の韓国の小学生を相手にするボランティア活動をしていたときに、ゲームしたり歌を歌ったりするのに子供をうまくまとめることができずに困っており、小学校教諭の友達(40歳韓国人女性)に現場を見てもらって相談したところ
「全体の3分の1程度の量のお菓子を用意して、うまくやった上位の子にだけご褒美としてそれをあげるのがいい」
とアドバイスされました。
ボランティアスタッフは全員日本人だったので、このやり方に慣れておらず、採用しませんでしたが、ご褒美がないからゲームを楽しめなかったのでしょうか。
娘の小学校では図書室で本を借りると、その冊数に応じてスタンプを押してくれます。
多読させようという意図はわかりますが、それがたまると賞状などではなく、回数に応じてご褒美として飴や給食のデザートおかわり券などをくれます。
驚いたのが「宿題免除」。ポイントがたまると宿題が一回免除になるというご褒美。宿題は何のためにやるものでしょうか。
そのスタンプ欲しさに、子供たちは冊数を稼ぐだけで実際に読んでいるかどうかは別です。うちの娘は借りるだけで読んでいません。
何のための本の貸し出しなのか・・・問題はここにあると私は思っています。
安易にものの対価(価値)を決めてしまうということは、物事の本質がわからなくなるということです。
ご褒美に目がくらんで、なぜそれをするのか、しなければならないのかその本質を見失ってしまうと思うのです。
何かの道で大成した人が、「それを始めたきっかけはお菓子欲しさだった」ということもあるでしょうが、すべてのことがこのようにご褒美を対価に教わると見返りを求めるようになります。
このような教育を受け続けるとどうなるのか、「行動を起こすときの動機として、対価を重視する」ことになり、つまり「対価がないことに関心が持てなくなる」のです。
そもそも大人が対価がないと思うことはやらせませんが、何もくれないのに、何でやるの?やって何になるの?という事です。
韓国の部活動事情
そのわかりやすい事例が中学・高校の部活動です。
韓国には日本のような部活動がありません。中高生は学校と塾だけ。
放課後にクラブ活動があることもありますが、週1程度なので、日本の部活とは本気度が全く異なります。
中高時代に部活動並みにスポーツをしている生徒は将来その道に進もうとしている人だけ。
だからそういう生徒は勉強はしていません。スポーツだけに明け暮れています。スポーツの道に進むのに勉強はいらないということなのでしょう。
日本で部活動に打ち込んだ人の中で、どれだけその道に進んだ人がいるでしょうか?
ほとんどの人が、それと関係ない職業につき、全く関係ない生活をしています。青春時代部活に費やした時間は、何の給料アップにもつながっていません。
韓国の人から言わせれば、部活動に時間を割いて、希望の大学にいけるわけでもない、その道に進むわけでもない、そんなことやって何になるの?っていうことです。
部活動で残るのは精神力や責任、忍耐力や思いやりと思い出。韓国人にとってそんな目に見えないものを対価とは呼べないのです。
学校で行事に時間を割かないのも、結局はこれと同じこと。目に見える成果につながると思えないからでしょう。
私が思うのは、研究の場においても同じことが言えるのではないかということ。
「対価」に目がくらんで本質を見失っているのではないか、賞を受賞することが研究の目的になっているのではないか、と。
研究を続けた末に、賞があるのであって、賞のためにするのではないはず。
ノーベル賞受賞者のための台座がすでに準備されているという冗談のような実話がありますが、まさにこの考えに基づいているのです。
過去の受賞者の言葉
2016年にノーベル賞医学生理学賞を受賞した大隅良典栄誉教授は記者会見で
「役に立つかどうかという観点でばかり科学を捉えると、社会をダメにすると思う」
「研究を始めてから賞につながると思ったことはない」
「誰もやってないことを見つける喜びこそが研究者を支える」(http://gooday.nikkei.co.jp)
と語りました。
大隅教授は若者へのメッセージとして
「若い人には、疑問に思ったりおもしろいなと思ったことは、どんどんやってみようと。」(http://www9.nhk.or.jp)
と伝えました。
2002年にノーベル化学賞を受賞した田中耕一さんは大学教授ではなく民間企業の研究者でした。このことは韓国でも大きく報じられました。
田中さんは会社に報酬や対価は求めるかとインタビューで聞かれ、
「幸いにもそんなにお金に困っていない。報酬というよりも、面白いとかやっていて楽しいが第一。」(http://www.kitanippon.co.jpより)
と答えています。
いずれも結果を出そうとすることより、楽しむことが大事だとしています。
【受賞者のお父さんの教訓】
日本人初のノーベル賞受賞者、湯川秀樹博士のお父さんは地質学者で京大教授でした。子供たちには
「学校の席次のための勉強などは、最も愚劣なこと。自分が好きな学問を深く学びなさい」
と教えたというエピソードは有名ですね。
本当の学問とは学校成績のためではなく、好奇心に基づいて自ら行うものであり、それが才能を開花させるのだという教えです。
湯川秀樹博士のほか二人の兄は冶金(やきん)学者と東洋史学者に、弟は中国文学の学者になりました。
まとめ
「成果報酬という名目でご褒美を与える安易な方法で子供をやる気にさせる教育が風土として根付いており、結果、物事の本質を見失い、真のやる気を引き出すことができない。
結果が見えないものに対して、行動を起こしたりやる気を持続させることができない。
さらにやる前から周囲がその効果や成果(対価)について決めてしまうため、純粋に好奇心の趣くままに勉強を楽しみ追及することができない環境である。」
と考えました。
何事もスピーディに結果を出す、というのが韓国の力であり、せっかちで結果を重視する国民性は、20~30年を見据えた研究をするのに向かないと思います。
最後に
ノーベル賞受賞者にユダヤ人が多いといわれ、その家庭教育が注目されていますが、その説で言えばやはり家庭教育が韓国人をノーベル賞から遠ざけているのではないかと思います。
しかし教育に答えはありません。それぞれの国の風土に根ざした教育の仕方があります。だから別にいいんじゃないか?というのが私の結論です。
最後に日本のことですが、近年毎年のように日本でノーベル賞受賞者がでるのは1980年代、1990年台に始めた研究の成果。
この時代は国が基礎研究に投資していた時で、研究者はのびのびと研究ができたのだそうです。
しかし現在は、外部資金を申請する際に【何の役に立つか】という効果を提示しなければならなくなり、目先の成果にとらわれた研究により今後の日本を危ぶむ声も高まっています。
子供が興味や関心を持ったことに挑戦できる環境を整えることが大切であるように、研究者にとって結果をせかされることなく面白いと思うままに研究できる以前のような環境になってほしいですね。
ノーベル賞2019年、今年の韓国の反応は?
2018年日本のノーベル賞受賞について韓国の反応をまとめました。↓↓