イヘヨン女優(1962年)プロフィール!結婚・再婚また離婚?夫や子供は?

 

女優イヘヨン1962

「ごめん、愛してる」でソジソプの生母役で知られる女優イ・ヘヨンを紹介します。

「無法弁護士」や「マザー」などドラマ出演もありますが、主に舞台や映画で活躍する女優さんです。

プロフィール、来歴、父と母、結婚や離婚についてまとめました。

※1971年生まれのイヘヨンではありません。

(トップ画像https://entertain.naver.comより)

 

 

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目次

イヘヨン韓国女優のプロフィール

이혜영 イヘヨン 李慧英

1962年11月25日生まれ
ソウル市出身
166㎝
46㎏
AB型

中央大学演劇映画学科

1981年19歳でミュージカルデビュー

子供のころから女優を夢見ており、高校卒業後に劇団に入りました。

80年代初頭、ミュージカルで女優人生を始め、抜群のスタイルと優れた演技力で圧倒的カリスマとなり注目されました。

飛びぬけた演技力だったため独特な雰囲気で、デビュー以来ずっと同世代の女優たちとは異なるキャラクターを演じて来たそうです。

ボリュームのある体つきで若い時は露出する役が多かったとか。

強烈でモダンなイメージのルックスのせいか、時代劇での活躍はあまりみられません。

アナウンサーや記者でもないにもかかわらず、1991年から8か月間、SBSのニュースキャスターに抜擢されたことも。

1995年にはスランプに陥り、「もう女優として活動できそうにない」と思いフランスのパリへ。

たくさんの旅行をしながら語学学校に通い、演技のワークショップにも参加して発声や肉体トレーニングをして1年8か月過ごしたそうです。

これまで主に映画界での活躍が多く、数々の演技賞を受賞し、演技力が高く評価されている女優さんです。

 

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イヘヨンの父・母について

お父さんは1975年に亡くなった映画監督のイ・マニ。

当時、イヘヨンは13歳でした。

幼いころから父を尊敬し、映画に一生を捧げる姿から多くのことを学んだそうです。

お父さんが亡くなる少し前にお祖母ちゃんを亡くしているようです。イヘヨンは

「お祖母ちゃんが亡くなって自由になった。自分の人生のターニングポイントだった。」

と語っており、言葉少なでしたが、相当厳しく当たられたようです。

というのもお祖母ちゃんは典型的な家父長的考え(長男が最優先)を持っておりイヘヨンの一つ上の兄ばかり可愛がり、イヘヨン自身も兄に対して敬語を使わねばならなかったとか。

また男女が同じ食卓を囲むことなんて絶対に考えられないほど、男子優先とされた家庭でした。

自由で堂々としたイメージの自分が作られたのはこの経験が大きいとのこと。

お祖母ちゃん、お父さんが亡くなったあとは、離婚して別々だった元演劇女優のお母さんと暮らすことになったそうです。

 

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イヘヨンの結婚・離婚・再婚

イヘヨンは1987年25歳の時に演劇俳優ソルドユンと結婚しました。

その後、正確な年度は不明ですが離婚しています。

二人の間にお子さんはいませんでした。

夫との出会いと結婚

1995年、女優としてスランプに陥り現実逃避のために滞在したフランスで、出張に来ていた8歳年上の韓国人男性と知人の紹介で出会いました。

彼はイヘヨンの映画をみたこともなく、SBSのニュースキャスターとしての記憶しかなかったそうです。

帰国後、その男性の子供を身ごもるも相手の実家から結婚を反対され、1998年、未婚のまま出産することを宣言。

結局出産直前にお相手のキムミョンヒョン氏と婚姻届けを提出し夫婦となりました。(未婚のまま出産し、あとから入籍した説も)

娘が生まれたことについて

「娘ハヨンは私の利己的な皮を破り、女優として生きるのがすべてだとこだわってきた私に別の人生の美しさを見せてくれた神様の贈り物」

と語っています。

お互いに再婚で、ご主人には前妻との間にお子さんが2人いたようです。

二人が出会った1996年当時、ご主人は離婚調停中でそのため不倫説がささやかれたことも。

イヘヨンが離婚?

イヘヨン夫婦は2000年ごろまでは家庭円満でとても幸せに暮らしていたそうですが、2001年5月、娘ハヨンちゃんを連れてイヘヨンは別居し、同年7月に家庭裁判所に離婚訴訟を起こします。

その理由は姑との不和と夫への不信。

その当時、女優は結婚したら家庭を優先するのが一般的で、姑や夫もそれを望んでおり、出産後も女優を続けたいイヘヨンと対立してしまったようです。

娘を連れて別居後、イヘヨンは映画出演しています。

同年9月には二人が水面下で合意離婚を進めていることが発表され、離婚は秒読みと思われました。

これに関してご主人は

「一度も家庭が壊れたと思ったことはないから協議することも合意することもない」

という姿勢を見せていました。その3か月後の同年12月、イヘヨンは電撃的に離婚訴訟を取り下げ、二人はまた共に暮らすことに(!)

というのも、当時3歳くらいだった娘ハヨンちゃんを、ご主人がお絵描き教室から連れて帰ってしまい、それから1か月半イヘヨンは一人になってしまったのです。

この一人の期間は孤独でとてもさみしく、生きる気力を失うほどでした。

イヘヨンはこの時、愛する人を失うことの辛さと向き合い、また夫婦としてやり直す決意をしたのです。

ご主人の「妻は映画撮影が終わったら戻ってくるだろう」という言葉通り、撮影終了後家に帰り、ご主人に手を引かれて家の中に入ったそうです。

のちのインタビューで

「今はとてもいい関係になった。でも夫も姑も何も変わっていない。変わったのは自分。以前は姑と夫の行動が全く理解できず到底我慢できないと思ったが、今は我慢するしないを越えて、それを当然のものとして受け入れることができる。むしろ今は私が姑と同じになっていってる(笑)」

と話しています。

別居中イヘヨンは離婚訴訟準備のため、「母親としての権利を奪われた事例」をまとめていたと言います。

そうして過去を振り返ってみると、姑が娘の面倒を見てくれていたから女優を続けられたのだと気づきました。

その後、二人はやり直し、二人目のお子さんを望むも2回流産。

そして2003年7月に息子さんが誕生し、しばし育児に専念後「ごめん、愛してる」のソジソプの生母役で復帰したのでした。

 

最後に

イヘヨンは長い間インタビューを受けず、離婚騒動についてよくわからないままとなっていました。

息子さんが誕生し、少し落ち着いた2005年のインタビューで離婚訴訟を起こしたことについて、今では「大喧嘩しただけ」と振り返っています。

離婚を決意するほど憎かった夫をまた愛することできるのか?という素朴な疑問に対して

「そうですよね。まだ愛が残っていたから憎しみが生まれたんだと思います。何よりも葛藤の原因は夫ではなかった。」

姑との不和についても

「結婚を反対され、すぐ嫁として認めてもらえなかったさみしさがずっと残り、憎しみを積もらせて行ってしまった。」

と回想していました。

感情的になって家を出て行った妻を落ち着いて待っていたご主人、冷静になって自らを省みたイヘヨン・・・

こんな大変な経験をしたのに、人生のターニングポイントに「祖母が亡くなったこと」と挙げていて、どんなに厳しいお祖母ちゃんだったんだろうと思っちゃいました。

 

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