国民的オモニとして数々のドラマや映画でお母さん役を務めてきたキムヘジャさん。
ウォンビンさんと親子役で出演した映画「母なる証明」やドラマ「宮」「ディアマイフレンズ」「まぶしくて」への出演が記憶に新しいですよね。
プロフィールと来歴、百想芸術大賞を受賞した際の壇上スピーチ、「母なる証明」秘話、結婚・夫・子供・孫についてまとめました。
(トップ画像https://news.naver.com/より)
キムヘジャのプロフィール
金惠子 キム・ヘジャ
1941年9月15日生まれ
ソウル市出身
梨花女子大学生活美術学学士中退
多くの映画やドラマで母親役を演じ、国民的オモニとして知られています。
70代を超えてもなお主演を務める大ベテラン女優。
また1991年に最初のエチオピア訪問以降、20年にわたり奉仕活動をしており、アフリカ数百人の子供を後援しているそうです。
キムヘジャの生い立ち
キムヘジャさんのお父さんは韓国初代大統領李承晩政権時代に社会部次官を務めたエリート、お母さんは全羅北道群山の大商人の娘さんです。
このようにキムヘジャさんは裕福な家庭に生まれ、ソウル駅のそばの大豪邸で育ちました。
このお宅はお父さんが社会部次官を務めていたときの社宅だったそうです。
リビングだけで200坪もあり、家を映画撮影のロケ場所に提供したり、パーティ会場となったり外国人の出入りも多かったとか。
お父さんは17歳、お母さんは19歳という若さで結婚し、娘を二人設けるもお父さんはその後約15年間日本やアメリカで海外留学。
キムヘジャさんは父の帰国後に生まれた3番目の娘で、お父さんは特別かわいがってくれました。
すぐ上のお姉さんとは15歳も年が離れており、またお母さんが病弱だったことから、キムヘジャさんはお姉さんたちに育てられたそうです。
朝のワイドショー「チョウンアチム」番組キャプチャー
父・母・キムヘジャ・弟
その後弟さんが誕生↑。
キムヘジャさんは幼稚園の時、演劇をやることになり狂犬病の犬に噛まれて死ぬ子供の役を演じました。
最後に「水、水」と言いながら息絶える演技で観客を感動させたそうで、これを見たお姉さんたちは将来は女優になるだろうと思ったとか。
また、裕福な家庭だったためか、幼いころから演劇を見る機会が多くありました。
当時女性劇団というのがあり、出演者は全員女性。男性の役も女性が務めていて、その舞台があまりにかっこよく、女優にあこがれるように。
1960年に梨花女子大学に入学。大学2年生の時にKBS公開採用1期タレントオーディションを受けて合格し芸能界に入りました。
ご両親は反対するどころか
「女優になるなら尊敬される女優になれ。」
と応援してくれたそうです。
女優として
KBSに合格し晴れて女優への道を歩み始めましたが、研修卒業作品としてドラマ1本に出演したところで、きっぱりとやめてしまします。
演技の基礎がなかった自分が恥ずかしく、女優への憧れが強かった分、失望も大きかったとか。それは女優を目指していた事実さえも忘れたいと思うほどでした。
そのころ縁があって1961年11歳年上の一般人男性と結婚。
この時期結婚したことについて”女優を忘れるための逃げ道だった”とキムヘジャさんは回想しています。
結婚を機に大学も中退。長男が生まれ4年ほど育児に専念します。
子供が4歳くらいの時、これまで母親べったりだったのが友達と遊びたがるようになり少し手が離れたのをきっかけに、再び演技への欲が沸き上がりました。
そして高校の先輩の”演劇をやると演技の基礎が学べる”との勧めで演劇を始めることに。
3年間舞台に没頭し、演劇界のスターと呼ばれるまでになりました。
MBCが開局と共にスカウトされ、以降テレビドラマで活躍することになります。
1969年、第二子妊娠中に「カエルの夫」という100部作ドラマが始まり、劇中の人物もキムヘジャさんに合わせて妊娠した設定にし、退院する過程まで撮影したそうです。
このとき出産してわずか4日目に冬の寒い中、野外撮影しなければならず、周囲からとても心配されたとか。
1982年41歳の時、映画「晩秋」でスクリーンデビュー。
初映画にして「マニラ映画賞主演女優賞」を受賞します。
1980年から22年にわたりドラマ「田園日記」で俳優チェ・ブラムさんと夫婦役を演じ、国民的オモニのタイトルを持つように。
あまりにお似合いの二人に、本当の夫婦だと思っていた人も大勢いたそうです。
長寿ドラマ「田園日記」の夫婦役
https://news.naver.com/
1975年から2002年までCJ第一製糖の専属モデルを務め、調味料のCFといえばキムヘジャというほど広く大衆に刻印され、それは国民的オモニと呼ばれる一助ともなりました。
調味料の広告
キムヘジャさんの代表作と言えば2009年映画「母なる証明」。
パラサイト半地下の家族の監督で知られるポンジュノ監督作品です。(後述)
2016年ドラマ「ディアマイフレンズ」のヒジャ役は共演者からキムヘジャさんそのものだと言われ、監督からはキムヘジャをそのまま演じてくれ、と言われたそうです。
ドラマ「まぶしくて」ポスター
2019年ドラマ「まぶしくて」で百想芸術大賞を受賞した際の壇上スピーチが感動を呼びました。
「私の人生は時に不幸で、時に幸せでした
明け方のひんやりした冷たい空気
花が咲く前に吹くあたたかい風
日が沈むときに広がる夕焼けのにおい
どの瞬間もまぶしくないときはありませんでした
今、生きるのがつらいあなた
あなたはこのすべてを毎日楽しむ資格があります」
人生に悩む多くの人の心に深く残るメッセージでした。
スポンサーリンク
キムヘジャは主人公しかやらない?
キムヘジャさんの務める母親役は誰かの母という周辺人物としての役ではなく、母親が主人公であるドラマばかり。
それに関して「主人公にだけ固執している」「主人公病にかかった」とも言われていますが、それについてご本人は
「ビリーエリオットをみると、あとにおばあちゃんが出て来る。あんな役なら自分もやりたい。韓国の作家たちは数名を除いて、主人公だけを描いている。残りの人物はなぜ登場したのかもわからなまま、ということが多い。」
と話しており、価値のある役をしようとすると主人公になる、ということなのでしょう。
また、1985年「風蘭」の文定王后役を除いて、時代劇への出演がありません。(2006年の”宮”は時代劇とは言えないため)
「一日中部屋の中で座ったまま”入りなさい”というだけ。昔の女性は精神病にならなかったのかな?」
と話しており、人間味を感じないというのが出演拒否の理由のようです。
スポンサーリンク
キムヘジャ出演映画「母なる証明」
「母なる証明」はウォンビンさんがイケメンを封印して望んだ作品。イケメン俳優として知られていたウォンビンさんの真の実力が発揮された映画でもありました。
しかしなによりポンジュノ監督いわく、本作は「キムヘジャ先生のために書いた映画」。
キムヘジャさんを主人公に映画を作る、としたときに自然と母親を描くことになったとのことで「母親とは何か」を極限まで掘り下げたストーリーです。
ポンジュノ監督は出演交渉に4年もかけて、キムヘジャさんを説得したとか。
キムヘジャさんの目の演技、深さや表現はセリフがいらないほどで、
「世界のどこを探してもあの目を持っているのはキムヘジャ先生しかいない」
と語り、そんなところに惹かれたとのこと。そしてポンジュノ監督はウォンビンさんの目も澄んだところがキムヘジャさんに似ている、と話していました。
キムヘジャさんは演じる時に空間をとても大事にしていて、自分の背景に何があるのか、背景が役を生かすと思っているそうです。
ウォンビン演じる息子の部屋が時代に合わないと感じ、キムヘジャさんの指摘で背景に有名サッカー選手パクチソンの写真が入ることになりました。
普通の家族ドラマでは背景にタンスがあることが多く、それに不満があるとか。
「貧しい家はこう、金持ちの家はこう、と決めつけて空間がないように家具を埋める。放送芸術(テレビドラマ)は若干惰性があると思う」
と吐露していました。
「母なる証明」についてキムヘジャさんは
「ポンジュノさんは私を新しく目覚めさせてくれた人。私はそのまま目覚めることなく女優人生を終えるところだった。私の中のまだ発見されていない細胞を目覚めさせた」
と感謝の気持ちを語っています。
これま数多くの賞を受賞してきましたが、本作の出演より受賞した米国 LA映画批評家協会 女優主演賞が一番心に残っているそうです。
スポンサーリンク
キムヘジャの結婚・夫・子供
キムヘジャさんは大学1年生の時に11歳年上の男性と出会い、1961年20歳の時に結婚。
すでにデビューしていましたが、上述の通り女優をやめようと決意した時でした。
当時梨花女子大学は既婚者は通えなかったため、結婚と同時に中退し4年ほど育児に専念。
その後ご主人が積極的に女優復帰を後押ししてくれ、お子さんを持ちながらも仕事に復帰します。
ご主人は妻と子供を大事にするとても家庭的な方だったとか。
国民的オモニと呼ばれるキムヘジャさんですが、自ら「不良オモニ」というほど実生活では家事などはあまりしなかったようで、米を研ぐシーンは実際に練習しなければできないほど・・・。
キムヘジャさんは料理のシーンで包丁の使い方が不慣れだったためある共演者が「料理したことありますか?」と聞いたら「やったことない」との返事。
息子さんが以前テレビで母親について
「母が台所に入るのは珍しかった」
「普通のお母さんはおいしいものがあったら子供に先に食べさせたりするけど、うちは母が最初に食べてた」
「料理が下手な母が作る一番おいしい料理がラーメン」
と語っていました。韓国でラーメンといえばインスタントの代表格です。
キムヘジャさんご自身も
「仕事が忙しくて子供の学校行事は夫が行ってくれていた。母親の役割を果たせず申し訳ないと思う」
とことあるごとに話しています。
キムヘジャさんは撮影に入ると役に没頭するため、とても敏感になるそうです。
そんな妻を献身的に支えて女優活動を応援し、家庭と子供を守ってくれた優しいご主人。
家庭生活はとても円満でしたが、ご主人は68歳だった1998年、すい臓がんで亡くなりました。
ガンの診断を受けてたった1か月半での死別。お酒もたばこも吸わないとても穏やかでまじめな方だったとか。
死後、息子さんは父親がどれだけ女優キムヘジャを支えていたのか痛感したそうです。
ご主人の死後、ご自宅は売り、現在はソウルの高級住宅街ヨニ洞にお住まいです。
豪邸が立ち並ぶ静かなこの住宅街は元大統領も2人住んでいるエリアです。
キムヘジャ弁当とは?
息子さんは日本企業に勤めていましたが独立して起業。
最初はアパレル事業から始め、のちに食品業界にも手を広げます。
そんな時、キムヘジャをブランドに弁当商品を作りたいという提案があり、息子さんの会社が品質管理に介入する条件でのもとで契約しました。
契約の際にはキムヘジャさんご本人も直接製造工場を訪ねて品質を確認したとのこと。
そうして販売されたのが韓国大手コンビニメーカーGS25から発売された「キムヘジャ弁当」で発売以来大ヒットを記録!
コンビニ弁当は値段も高くてまずい、というイメージを一新することに成功しました。
キムヘジャ弁当の登場以降、韓国コンビニ弁当は品質が向上し、既存のお弁当業者を脅かす存在となったほどでした。
この成功に倣い、多くのコンビニ弁当が芸能人の名前を商品名にしています。
スポンサーリンク
キムヘジャは孫がいるの?
早く結婚したキムヘジャさんはお孫さんも早く誕生したようです。
2013年のトーク番組では、お孫さんの一人も出演しています。
左:息子・右:孫
↑こちらご長男の息子さんで、キムヘジャさんのお孫さん、イムドンヒョク君です。
幼いころのお孫さん
イムドンヒョク君は幼い頃お菓子のCFに出演したこともあったようです。↑
2013年番組出演当時、イギリスでの留学生活を終え、俳優になるために韓国に戻ってきた、と話していました。
2020年時点で今も俳優の道を歩んでいるのか不明です。
同番組で出演はしませんでしたが、画像にてお顔公開となった孫娘。ご長男の娘さんで、先ほどの孫息子さんのお姉さん。
この方はこの当時イギリス名門医大に通っていたそうです。(現在は不明)
こちらも同番組で画像にて紹介されたキムヘジャさんの外孫(娘の子供)、ファンジウォンちゃん。
2013年当時、高3でおばあちゃんと同じ女優の道を歩みたがっている、と紹介されました。
名前を検索してみましたが、現在どうなったかは不明でした。
最後に
韓国の人は妊娠中に母親やごく身近な人が見た夢でおなかの中の赤ちゃんの人生を占うテモンというのがあります。
キムヘジャさんが生まれる直前、お父さんは金魚鉢の中に真っ赤な魚がいて、それをみて多くの人が拍手しているという夢を見たとか。
「生まれてくる子は多くの人を楽しませて拍手を受ける人になるだろう」
と話していたそうです。
キムヘジャさんは演技が自分の職業だと思ったことは一度もなく、それを職業だとするのはプライドが傷つくのだとか。
演技は自分そのものであり、呼吸するのと同じことだから。
この記事を書くにあたり多くのトーク番組やインタビュー記事を読みましたが、キムヘジャさんは本当に芸術家で、一般人とは全く異なる世界観をお持ちなんだと思いました。
映画「母なる証明」ドラマ「ディアマイフレンズ」「宮」などキムヘジャ出演作を無料で見るにはU-NEXTの31日間無料トライアルを利用するのがいいですよ!
U-NEXTは韓流配信数が業界No.1!
韓流好きなら一度は試してみてほしいサービスです。
※配信状況は変わることがあるのでご利用前にご確認ください