ドイツ生まれドイツ育ち、ニューヨークとロンドンで演技を学び、さまざまな国の作品に出演。
現在は韓国で活動中という異色の経歴を持つ俳優ユテオ。
奥さんとの出会いのエピソードがとても素敵なんです。
プロフィールと来歴、国籍について、妻ニッキー・リーとの出会いと結婚、モデルの妹について、インスタグラムをまとめました。
(トップ画像https://digitalchosun.dizzo.com/より)
ユテオ韓国俳優のプロフィール
ユ・テオ 유태오 劉台午
本名:キム・チフン 김치훈
1981年4月11日生まれ
ドイツのケルン出身
180㎝
71㎏
1960年~1970年代に朴正煕政府は失業問題解消と外貨獲得のための海外人材輸出の一環として、西ドイツに鉱夫と看護師を派遣していました。
ユテオのご両親はそれぞれ鉱夫と看護師として渡独していて、現地で出会い結婚。
こうしてユテオが生まれ高校生までドイツで育ちました。
学生時代はバスケ選手として活躍し、16歳の頃は休みのたびに韓国の大学に来てバスケの合宿訓練を受け、そこでスカウトされたことも。
しかし1998年17歳の時に負傷し、翌年二度目の負傷で両ひざの十字靭帯がすべて切れる大怪我を負いました。
医者からは歩けるだけでもありがたいと思え、と言われるほどで選手の夢はあきらめることに。
その頃、高校で新しく赴任した哲学の先生がサークルを作り「友達に紹介したいものを持ってくる」という課題が与えられ、ある映画を紹介したら友達の反応がとても良かったとか。
それまでバスケと体育大への進学しか考えていなかったユテオにとって、大きな心理の変化となったようです。
これ以降演劇を見に行くようになり、映画学校への進学もいいかも、と思うようになりました。
ドイツでは大学入学前に1年間海外で留学や実習をしてきたということを証明すれば入学がより有利になるシステムであるため、2001年、以前から関心のあったニューヨークへ。
そこでは体育大進学のため物理治療を学ぶつもりでしたが、偶然ふれた演技にはまり、アメリカで演技学校に入学。
当初の予定より延長して2年半ニューヨークに滞在して演技を学びました。
ビザの問題でドイツ帰国を余儀なくされた2004年夏当時、シェイクスピアへの関心が強く、ロンドンのロイヤルアカデミーにシェイクスピア専門コースがあることを知ります。
3年の授業を3カ月で学べるコースだとのことで、自分の映像を送り無事に入学。
イギリスにうつり演技の勉強を続けました。
その後ドイツに戻ると両親から「演技の勉強もいいが理学療法の勉強をするべきでは?」と言われてしまいます。
そこでアメリカに韓医学の勉強のための専門大学に行く、と嘘をついて再びニューヨークへ。
留学生ビザで行くために大学の授業も受けながら、オーディションを受け続けます。
しかし与えられるのは中華料理屋の配達員やクリーニング屋の主のような役ばかりで、無名の東洋人が役をもらうことの難しさを痛感。
この時期、2006年(25歳)にフォトグラファーのニッキー・リーと結婚。(後述)
韓国映画やドラマを観ながら韓国で働きたい意欲がわき、2009年にすべてを整理して韓国へ。
2009年映画「女優たち」の端役でデビュー。
しかし無名時代は続き、韓国語が流暢にできないのもあってかなかなか活躍の場がなく、韓国で認知されませんでした。
2015年公開映画「ソウルサーチング」では初主演を務めます。
この映画はソウルで全世界の韓国人同胞のためのキャンプを運営した、という事実を元に作った作品。
クラウス・キム役はドイツ同胞2世の役で、ユテオにぴったりでした。
この作品のあと、ベトナム映画に出演。
2015年当時、ベトナムの映画撮影インフラが整っておらず、とても大変だったとか。。。
それで釜山国際映画祭で知り合って以来、親交を深めているという浅野忠信にアドバイスを求め連絡。
アジア俳優の中でも東南アジアでの撮影経験が豊富な方だ、ということで頼りにしたそうです。
ロシア映画「LETO」主演
当時は韓国作品より海外作品に出演する機会が多かったそうで、2017年主演を務めたロシア映画「LETO」がカンヌ国際映画祭に出品され、それにより韓国でも徐々に知られるようになりました。(日本公開は2020年)
この映画は韓国にルーツを持つヴィクトル・ツォイ(1962年‐1990年)という実在の歌手が主人公。
人気のピーク時に28歳の若さで交通事故で命を落とし、ロシアでは伝説的ミュージシャンと呼ばれている人です。
英語で演じると思ってキャスティングされたら、ロシア語でやらねばならないと聞いて相当テンパったとのことですが、覚悟を決めて短期間でロシア語の歌やセリフをマスターしました。
興味深いのがロシア映画界の話。
ロシアでは富裕層が映画にたくさん投資するのだそうです。
一つの映画の20~30%は個人投資家の資本で、彼らは映画制作に一切口出しせず、ただお金だけ投資してくれるとのこと。
この投資によって利益を得よう、とは思っておらず、他で稼いでいるから自由に使ってくれというスタンス。
しかもこの投資家たちは自分より若い人ばかりで、文化と芸術に対する尊重を感じたそうです。
この映画は「第71回カンヌ国際映画祭」コンペティション部門に進出し、ユテオは世界の映画関係者から認められることとなりました。
2019年「アスダル年代記」
2019年韓国ドラマ「アスダル年代記」でソンジュンギの父親役を務め、印象を残しました。
その後、ドラマ「ベガボンド」「マネーゲーム」「保健教師アンウニョン」などの助役でさらに多くのファンを獲得。
2021年監督デビュー
「ログ・イン・ベルジウム」で監督デビュー。
脚本・脚本・演出・音楽・出演のドキュメンタリー映画。奥さんも制作に携わったようです。
バラエティで活躍
https://entertain.naver.com/
ドイツ生まれドイツ育ちであるため、その暮らしぶりも人々の関心を集め、韓国ではバラエティでも人気!
長い間外国のさまざまなレストランでアルバイトの経験があり、料理も得意です!
センスのいい自宅を公開し、フラワーアレンジをしたり、ソーセージも自分で作ったり、手際よく洋食を作る様子をみせ女性たちをときめかせています。
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ユテオの国籍は韓国?ドイツ?
他国から移民してきた人たちの子供はドイツ国籍を取得することができるそうですが、ユテオは韓国籍です。
上述の通り、バスケで両ひざを大けがしていますので、このせいで兵役は免除となったのではないか、と言われています。
そもそも全く韓国で育っていないわけで、こういう場合は兵役の義務が適応されるのか、不明ですが。
ユテオの嫁との結婚秘話!
奥さんは11歳年上のニッキー・リー。
トーク番組出演時の妻ニッキー・リー
韓国名はイ・スンヒで、韓国で生まれ韓国で大学を卒業後ニューヨークに留学して写真を学び、フォトグラファーとして活躍していました。
二人の出会いが映画のようです。
ユテオがニューヨークのレストランでアルバイトをしていた時、休憩タイムに店の前で休んでいると遠くからとてもかわいらしい人が歩いてきました。
可愛い人だなと思って見つめていると目が合い、彼女もずっとこちらを見ていたそうです。
当時のユテオ。こんなまなざしで見つめられたら・・・
そのまま通り過ぎてしまいますが、彼女は何度も振り返ってこちらを見ていて、ユテオも見えなくなるまでずっと見ていました。
そしてその1時間半後くらいに、彼女が店に。
この時「俺に会いに来たんだ」と直感したそうです。
同じ日のエピソードを奥さんがトーク番組で語ったことがあります
普通目が合ってもどちらかが目をそらすものだけど、ずっと目が合ったままだった。
その時はただ通り過ぎて、あとからずっと思い出されてそこに戻ってみたらいなかった。
そこはドイツ料理レストランの前で、この中にいる、と確信して入って行った。
レストランの中で座って話をした。最初は韓国人なのか日本人なのか、なに人なのかという話から。
同じ韓国人だと聞いてうれしかった。
後から知ったけどテオの理想のタイプが小さくてぽっちゃりしている人だった】
映画のような素敵な出会いに、もう一つエピソードが!
当時、ユテオが働いていたこのレストランのすぐそばのマンションに奥さんは住んでいました。
ユテオは毎日仕事帰りにその前を通っていて、外から見えるある部屋のシャンデリアが素敵だと思っていたそうです。
その家がニッキー・リーの部屋だったのです!
こうして二人は出会い、デート3回目で会話がとても合うことから奥さんは結婚を確信したそうです。
奥さんは元々映画がとても好きで、演出の仕事にも興味がありました。
そのため、ニューヨークでやっていた仕事をやめて、結婚後韓国に来てからは演出家を目指していました。
ユテオは無名でしたが、
「テオはカッコいいから3年以内に必ずブレイクする」
と思っていたそうです。ところが、5,6年経っても無名のまま。
二人とも固定収入がない状態で家計はとても厳しく、奥さんは「いつまで自分は耐えられるだろう」と不安になることもありました。
7、8年経っても状況は変わらず、これは一生このままかもしれない、とこの生活を受け入れるようになったとか。
現在は奥さんの内助の功により、徐々に認められ、母国で俳優の地位を固めました。
お子さんについては特に語られていないのを見ると、いないようですね。
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ユテオの妹、アンナ・キム
ユテオの妹、アンナ・キム
ユテオには9歳年下の妹さんがいます。
1990年同じくドイツに生まれ、16歳までピアノをやっていました。
10代の頃、フランスに交換留学したことがありフランス語も堪能。
ユテオの妹、アンナ・キム
現在は韓国でモデルとDJをしているそうです。
身長は170㎝。ソウルでファッションスタイリストをしていた2009年、モデルにスカウトされました。
モデル活動中、DJをすることになり、DJ名は「キノキノ」としても活動中。
異国育ちであるせいか雰囲気が独特で素敵なモデルさんですね。
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ユテオのインスタ
奥さんはフォトグラファーですし、ユテオのインスタもすごく素敵ですよ!!
最後に
韓国で俳優として認められるためには言語の大きな壁がありました。
ところがある監督が
「努力自体が宝くじを一枚買うことに似ている」
と話し、頑張ったからといってうまく行くわけではないが結局当選するためには宝くじを買わなくてはいけないわけで、ずっと続けるしかないんだ、と思ったんだそうです。
韓国でより先に世界で認められた実力派。
国際経験豊かだから他の追随を許さない独特の雰囲気がありますね。