映画「息もできない」で監督&主演を務めたヤンイクチュン。
この作品は世界の多くの映画祭で評価され、名を広めました。
プロフィールと映画「息もできない」について、結婚の有無、インスタグラムをまとめました。
(トップ画像https://entertain.naver.com/より)
ヤンイクチュンのプロフィール
양익준 ヤン・イクチュン
1975年10月19日生まれ
兄弟:姉が一人
公州映像大学演芸演技科
子供時代は忙しかった両親に代わって祖父母が面倒を見てくれたそうです。
自分がまっすぐ生きることができたのは祖父母のおかげ、と話していました。
2002年(27歳)映画「品行ゼロ」で俳優デビュー。
20代は独立映画界で活躍していました。
監督デビュー作【息もできない】
映画「息もできない」
それぞれに複雑な家庭環境で育った借金取りと女子高生の運命的な出会いと、純愛を描いた傑作。
「自分の内面を表現するために俳優になった」というヤンイクチュンは演技によって自分の過去や葛藤を解消することができないまま30を過ぎてしまいました。
そんな時に制作した2008年「息もできない」(똥파리)は自分が抱えてきた問題をテーマにした作品。
原題トンパリの意味は「糞にむらがるハエ」のこと。
実はヤンイクチュンは父親の家庭内暴力に怯える環境で育ち、そのことが長らく自身を苦しめてきました。
成人してからも「お父さんはなぜお母さんに暴力をふるったんだろう」「肉体的に弱い女性になぜ暴力をふるえるんだろう」という思いがずっと続き、上手く対人関係を築くことができなかったとか。
ヤンイクチュンはこれを「軍事政権社会から受けたストレスを家庭内で発散させていたその時代の悲しい歴史」と考えたようです。
「息もできない」は自分が脚本、演出、演技を務めることで、自身の内面を表現した作品。
自分のつらい過去に全面的に向き合うことでそれを乗り越えようとした映画なのです。
制作費が足りず、撮影が中断したこともありましたが、撮影を終えることができたのはご両親や友達、スタッフたちの協力のおかげでした。
この映画は独立映画ながら国内外有数映画祭で40の賞をさらって独立映画界の巨匠と呼ばれるようになりました。
特に日本で高く評価され、ヤンイクチュンの代表作に。
2012 ヤンヨンヒ監督映画「かぞくのくに」
2017 岸善幸監督映画「あゝ、荒野」
2024 山下敦弘監督映画「告白コンフェッション」
など日本映画への出演歴もあり、日本にゆかりのある俳優さんです。
パニック障害
ヤンイクチュンは2009年ごろからパニック障害を患っていることを2022年出演のあるトーク番組で明かしました。
「息もできない」で世界的な注目を浴び評価されると同時に、さまざまな責任が重圧として負担になってしまったようです。
「一生付き合わなければならないのか」という絶望感を抱いたことも。
心を休ませようと済州島に滞在したこともあったそうです。
症状が出るとパソコンの電源が切れたかのように頭が制止してしまうそうで、パニック障害について語るトーク番組出演中に「薬飲んで来てもいいですか?」と一時退席。
韓国芸能界にはパニック障害を公表し、克服した人も何人もいますが、ヤンイクチュンはまだこの症状と闘っているようです。
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ヤンイクチュンは結婚してる?
ヤンイクチュンは未婚です。
上述の通り、幼いころから父親が母親に暴力をふるう環境で育ったため、異性との関係を築くのが容易ではなかったそうです。
自分に好意を持つ女性がいても受け入れられず、また自分が好意を持った人に対してもその感情を素直に受け入れることができませんでした。
初めての恋愛は30歳の時。
その人も女優をしており、同じ志を持って過ごしていた同僚だったそうです。
彼女はとても包容力のある人で、ありのままの自分を受け入れてくれ、彼女との出会いから長年の対人関係形成の悩みがほぐれていくのを感じました。
彼女のおかげで新しい人生が開けたとも言え、とても感謝しているそうです。
この彼女とその後どうなったのか・・・過去の人という感じでの話し方でしたので、関係は終わってしまったようですね。
結婚したという知らせはなく、現在まで未婚です。
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ヤンイクチュンのインスタ
チェックしてみてくださいね↑
最後に
「息もできない」が自身と向き合うための作品だったとは知りませんでした。
とても腰が低く謙遜する性格だけど、度を越えて自分を卑下してしまうために相手から甘く見られがちで、それゆえに傷ついたことも多いそうです。
トーク番組からは繊細な方であることが伺えました。
パニック障害があったことを公表した芸能人↓