韓国女優イミスクは80年代を代表する美人女優で、これまで新人賞や主演女優賞、演技大賞などさまざまな賞を受賞し、現在までもドラマや映画で活躍する大ベテランです。
プロフィール、結婚と離婚、息子さんのことやスキャンダルについてまとめました。
(トップ画像http://kookbang.dema.mil.krより)
イミスクプロフィール
イ・ミスク 이미숙 (李美淑)
1959年4月2日生まれ
忠淸北道出身
1978年ミスロッテコンテスト
イミスクは4人姉妹。小学校2年生の時にお父さんが亡くなりました。
当時お母さんは32歳。父親がいなくても動揺する姿を見せず、子供たちを強く育ててくれたそうです。
そんな母親を尊敬していて、早く成功してお母さんを助けたいという気持ちがあったと言います。
1978年高校3年生の時にミスロッテコンテストで人気賞を受賞し、芸能界デビュー。
この時自分が最高賞を受賞すると思っていたイミスクは、ある出場者を見て無理だと悟ったそう。
最高賞受賞のウォンミギョン
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その人こそ女優ウォンミギョンで、そのコンテストで最高賞を受賞し、すぐドラマの主演に抜擢され人気スターに。
イミスクも芸能界入り直後はウォンミギョンほどの勢いはなかったものの、ドラマや映画で着実に成果を収めます。
映画「桑の葉」「冬の旅人」などを成功に導き、ウォンミギョンと共に1980年代を代表する美人女優として人気を博しました。
そしてイミスクは人気ピーク時の1988年に結婚。(後述)
その後芸能活動は休止し、その間長男と長女を出産。
この当時、出産した女優への配役は母親役しかない時代でした。
女優は枠に縛られずどんな役もしなければならないのに、母親役に限定されるのはこの仕事を愛するイミスクにとって耐えられないことでした。
この休業期間中は現実逃避するように留学したり海外を行き来していたとか。
1998年不倫をテーマにした映画「情事」で約10年ぶりに芸能界復帰。
母親になってからもその人気は衰えることなく、映画やドラマで活躍し、韓国を代表する女優としてその地位を築きました。
イミスクは整形なの?若い頃の画像!
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イミスクは元ご主人が美容整形医だったこともあって整形を疑う方もいるかもしれません。
2008年トーク番組に出演した際、(当時49歳)
「もう若くないから頭のてっぺんから足の先までケアを受けなければいけなくなった。最近になって整形したいという欲が出てきて気持ちが揺れる」
と話しています。
さらに2011年(52歳)のバラエティ番組ヒーリングキャンプ出演時、ドラマ「千日の約束」で整形するキャラを演じたことになぞらえて、ご自身の整形疑惑について尋ねられ
「鼻筋が通ってるから若い時から整形をよく疑われた。私は生まれる前に整形を終えてきた」
と天然美人であることを明らかにしました。
シミやしわなどのためのプチ整形は今はわかりませんが、お顔そのものは全く変えていないようです。
イミスクのスタイル維持・美容法は?
イミスクは年を重ねても20代のころと変わらぬスタイルを維持していますが、その管理法が気になりますよね。
・運動
ジム通いとホットヨガを続けている
・小食
20代のころから小食を意識してきて、今もその生活をしている
とラジオ番組で話していました。とてもシンプルですが続けるのは大変なことですね。
イミスクの結婚前のスキャンダル事件とは?
イミスクはずっとトップ女優として活躍していますので、それだけいろんなことがありました。
代表的なものだけ紹介します。
歌手チョヨンピルとの熱愛報道
イミスクは1981年22歳当時、9歳年上の歌手のチョヨンピルと熱愛関係にあったそうです
当時チョヨンピルは人気絶頂期で公開恋愛はできませんでした。
この年「チョヨンピルはパクさんという一般人の婚約者がいてもうすぐ結婚予定だ」という報道が出ます。
この女性は6歳年下で政治家の娘。二人は1975年に出会い、交際に発展したとのことです。
その後「婚約式」をする予定でしたが、その直前に延期したりということが何度も続き、なかなか結婚しない状況に、マスコミはイミスクとの熱愛をキャッチし、三角関係の大スキャンダルとなりました。
1984年2月、婚約報道から3年後、チョヨンピルはパクさんと婚姻届けをだし、翌月挙式します。
この挙式はチョヨンピルが突発的にしたもので、相手の女性は前日まで全く知らなかったそうです。
式には記者たち7人が招待されましたが、行ってみて初めて挙式の事実を知ったのだとか。
それを受けてマスコミはイミスクへ殺到します。
記者から聞いて彼氏の結婚の事実を知ったことになりますが、意外にもイミスクは
「ご結婚おめでとうございます」
とコメント。それからだいぶ経って
「チョヨンピルさんと私は純粋に愛する仲でした。でも今振り返ってみると、私一人だけの美しい恋愛だったんだと思います」
と話しています。さらに何十年も経って
「チョヨンピルおじさん、そうね・・・みんな過ぎ去った若い頃の思い出でしょう。いい思い出でした。私の胸に刻まれる20代の一番いい思い出です」
と当時を回想しています。
チョヨンピルさんは9歳年上。ただの「さん」づけではなく、おじさん、という言い方が意味深な感じがします。
ちなみにチョヨンピルはこの女性と4年後に離婚。
その後別の女性と再婚しましたが、二番目の奥さんは病気でお亡くなりになりました。
小説家チェインホ氏との不倫疑惑
チェインホ氏は1984年の映画「鯨とり」の原作小説の作家で、この縁で知り合ったと思われます。
1986年二人が香港で密会してたという報道があり、非難されました。
チェインホ氏は妻帯者だったからです。当時イミスクは26歳、チェインホ氏は41歳でした。
この件に対し、イミスクは
「作家としてチェインホさんが好きで、彼も女優として私が好きなだけ。香港に一緒に行ったのはただの仕事で、映画会社の常務も一緒だった」
と否定。チェインホ氏は
「40日前にすべて終わったこと。家内にも全部話した。はっきり言って、すべて終わったことだ。」
と話しました。
映画「鯨とり」は香港密会より2年前に公開された映画で、女優であるイミスクが香港で映画関係の仕事があったとしても、原作者が同行する必要はなさそうです。
チェインホ氏のコメントをみると、熱愛を認めたと言ってもいいのではないでしょうか。
イミスクの結婚と離婚
1986年9月、イミスクは12歳年上の成形外科医のホンソンホ氏と婚約を発表。
ホンソンホ氏は前妻との間に子供がおり、再婚ということになります。
この発表を受けてミスコリア出身女優イムジヨンが
「私は彼と付き合っていて、2か月前まで一緒に住んでいた。」
とマスコミに主張。イミスクが略奪した、告訴する!!と言い出したことで大スキャンダルに。
(当時ホンソンホ氏39歳、イミスク27歳、イムジヨン21歳。)
二人は1984年にイムジヨンが出場したミスコリアの審査員をホンソンホ氏が務めた縁で知り合い、交際関係にあったそうです。
イムジヨンの話によると1年間交際し、結婚を約束していた仲だったとのこと。
当時イムジヨンはミスコリア出身女優として注目され始めたばかりの大事な時期。
「恋愛は後ででもできる、仕事は今しかチャンスがない」
と周囲は仕事優先にするように説得しましたが、ホンソンホ氏との恋愛を貫き、仕事を断って同棲を始めたんだそうです。
しかしその1か月後に「噂が広まってるからしばらく会うのはやめよう」と言われ、同棲は解消され、その後別れようと言われたとのこと。
泣いて泣いてすがったそうですが、その矢先のイミスクとの婚約発表だったようで、イムジヨンの怒りの矛先はイミスクに向けられました。
イムジヨンにしてみれば仕事も男も失ってしまったわけです。
これに対し、イミスクはとても堂々として全く動じることはありませんでした。
というのも彼はすでに離婚していて独身、イムジヨンと恋仲であったとしてもそれはもう過去の話で何の問題もないからです。
こうして1988年3月、ホンソンホ氏と挙式し、一時芸能活動は休止します。
長男が生まれて4年後、長女誕生。
この女優休業中にイミスクは日本に留学しました。
ホンソンホ氏によると、
「妻は早くにお父さんを亡くしたため、子供のころから家を手伝ってきた。そのため勉強がちゃんとできず、自分はそれがずっと心にひっかかっていた。女優として大成するには英語と日本語ができたほうがいいんじゃないか、と思い2人目を出産後、日本留学させた。」
これで離婚だ別居だとマスコミに騒がれましたが、全くそういうことはなく、立派な女優になってほしいという思いだったとのこと。
(日本留学の具体的な期間や時期はわかりませんでした。)
イミスクはその後女優復帰し、また映画ドラマ界で活躍します。
結婚は順調のように見えましたが、2007年約20年間の夫婦関係を解消し、二人は離婚。
6年前から子供たちはアメリカに留学しており、ご主人が子供たちの世話のために、成形外科をたたんで渡米していました。
その別居期間中、お互い仕事に没頭するあまり距離ができたのが離婚の理由で、問題があったわけではないそうです。
二人の養育権は母親であるイミスクが持つことになりました。
ちなみにその後、ホンソンホ氏は再婚しています。
イミスクは再婚について以下のように話しています。
「いい男性がいても再婚は自信がありません。私は家庭のために早く帰ってきたり、そういうことができないですから」
しかし心が満たされずに離婚。その後他の人と結婚し、合計3回離婚しています。プロフィールをみると出演作品がほとんどありませんので、女優としてのキャリアは築けなかったようです。
1984年ミスコリア・イムジヨン
newsen.com
50代になって美魔女(?)として時々トーク番組に出てきては、過去の三角関係の話や不動産王との豪遊エピソード、美容の秘訣などを語っています。
ホンソンホ氏との実らなかった恋は時間が解決してくれた、と回想していました。
イミスクの子供(息子・娘)について
イミスクの二人のお子さんは2001年からアメリカ留学しました。
長男は2001年当時小学校5年生だった、とのことですので逆算すると1990年生まれではないかと思われます。
娘さんは4歳年下ですので、1994年生まれではないかと・・・。
(子供たちの生まれた年については、色んなインタビューなどから逆算して算出したもの。早生まれとかそんな事情が絡むと計算が合わないことになります)
息子さんは2008年釜山国際映画祭でイミスクとともにレッドカーペットに登場し話題となりました。
2011年イミスクがバラエティ番組ヒーリングキャンプに出演した際、息子さんは兵役中。
軍隊からビデオレターが送られ、忙しい母親の元でさみしかった少年時代など正直な胸の内を語り、イミスクが涙する場面もありました。
https://www.hankyung.com/
釜山国際映画祭で息子さんと
母親の最高の姿はどんな時だったか、という話の中で
「2008年釜山国際映画祭で一緒にレッドカーペットを歩いたこと。自分の彼女と仲良くしてくれること」
を挙げました。
SBS番組キャプチャー
ホンソンホ氏が番組出演した際に見せた息子と娘画像
娘さんは特にテレビ出演はしていないようで、↑この画像以外、情報がありませんでした。
離婚後のスキャンダル、17歳年下の男性とは?
イミスクは前所属事務所と5年間紛争した泥沼事件がありました。
このトラブルの発端は前事務所によると
「イミスクが契約満了前に他社と契約してしまい、違約金を払うよう訴訟を起こした」
とのことでした。2012年この訴訟のさなか、事務所は腹いせのためか、
「イミスクは離婚前に17歳年下の男性と関係があり、スキャンダルをもみ消すために5000万ウォン(約500万円)使った」
「イミスクは2009年自ら命を絶ったチャンジャヨンの事件に関与している」
と2つの疑惑をマスコミに暴露。
17歳年下男性の件、イミスクは2007年に離婚していますので、真実だったとしても少なくとも5年以上経過した話を掘り返して来たのです。
イミスクは記事を作成した2人の記者と前事務所代表を名誉棄損で告訴。そして
「女優として、母親として、名誉回復のために戦う」
と怒りをあらわにし、潔白を断言。
事務所の契約問題は1審、2審共にイミスクの敗訴で、元事務所に1億2100万W(当時のレートで約1060万円)を賠償する判決が出ました。
イミスクはこれを不服として控訴していましたが、その後2013年4月、契約問題は敗訴のまま、名誉棄損の件もキリをつけて諦め、女優業に専念することに。
その理由は、相手は自分を陥れることが目的で、裁判を続けることはその策略にはまっていることだと考えたからでした。
この決断はどれだけ悔しかったでしょうか。この件に関してご本人のコメントは以下です。
「この人(前事務所代表)と10年間仕事をした。そんな人がああだからどうすることもできない。私が堅固に堪えることができたのは、結局私はそんなふうに生きてきた人間ではないから。私は嘘もつかず、人の胸が痛むようなことをしたこともなく、人を欺いたこともない。私は私のことにおいては、誰よりも情熱的に生きてきた人間。あの人はこれ以上この業界で仕事ができないが、私は続けて仕事をしている理由を考えてみてほしい。それが答え」Kstyleより
イミスクがチャンジャヨン事件に関与?
事務所との契約問題による訴訟のさなか、事務所はイミスクが2009年に亡くなったチャンジャヨンの事件に関与してると暴露した、というのは上記のとおりです。
暴露された2012年当時は「17歳年下の男性と不適切な関係があった」ということのほうが衝撃度が強く、そちらばかりが報道されました。
2018年はMetoo運動が高まり、当時不透明なまま終わった捜査や該当者の処分が甘かったことなどが問題視されるようになりました。
この事件に再び注目が集まると、当時故人と同じ事務所の先輩であったイミスクやソンソンミも関与していたのではないかという疑惑が再燃。
イミスクは「事件前の彼女のことは知らない」と話していましたが、10周忌である2019年、自ら地検へ出頭し事情聴取を受けたそうです。
「故人の名誉が回復されることを望んでいる」と、誠実に対応する旨を語っています。
最後に
ホンソンホ氏との婚約発表直後、元カノ・イムジヨンとの三角関係がスキャンダルになったときの、イミスクのあまりの動じない態度に記者たちは「ハリウッド女優みたいだ」と思ったそうです。
チョヨンピルの三角関係のときと似たパターンの立場だけ違うバージョン・・・。
チョヨンピルの時、イミスクは22歳で、急に彼が結婚すると知っても騒ぎ立てることなく「おめでとうございます」とだけ言ったというエピソードも貫禄を感じます。
若くしてすでに大女優の風格のあった人だなと思いました。