ハンソッキュ妻との結婚のなれそめ!家族問題のせいで映画空白期がある?

ハンソッキュ

韓国映画「シュリ」「八月のクリスマス」の代表作で有名な俳優ハンソッキュは90年代韓国映画界ルネサンス期を象徴するアイコンです。

現在は4人のお子さんのお父さん。やさしいイメージそのままの温かい人柄で愛される韓国映画界に欠かせない国民的俳優です。

プロフィールと来歴、出演作、妻との結婚のなれそめ、家族問題などをまとめました。

(トップ画像:http://entertain.naver.com)

 

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目次

ハンソッキュのプロフィールと来歴

ハンソッキュ 韓 石圭

1964年11月3日生まれ
ソウル出身
175cm
64kg
AB型

家族:妻イムミョンジュ・娘2人・息子2人

大学は東国大学演劇映画科に入学。

1984年大学2年生のときにアンサンブルで出場したMBC江辺歌謡祭で奨励賞を受賞。

また在学中は「虹を探して」という短編映画を制作し、シナリオも担当しています。

兵役中、腰を痛めて除隊し、俳優の代わりに1990年KBS声優第22期として入社しました。

声優として活動していましたが、俳優の夢を捨てきれず、また親しい先輩から

「君は声優も合うが、私にはどうしても俳優が合うとしか思えない。」

という言葉に後押しされ、翌1991年MBCタレント公採第20期に入社。

1993年ドラマ「息子と娘」で強いインパクトを与え、1994年「ソウルの月」の出演でスターダムに上がりました。

以降活動の舞台をスクリーンに移し、映画界でも興行俳優として活躍。

映画「ドクターボン」から「シュリ」までの連続的な興行成功で90年代後半韓国映画界の復興期を導くスターとなりました。

1999年の「カル」以降、3年間の休息期を経て(後述)、コ・ソヨンと共演した2002年「二重スパイ」の興行成績が期待から大幅にはずれ、興行俳優としてのキャリアの中で亀裂が起き始めました。

その後もヒットせず、2011年ドラマ「根深い木」で16年ぶりにブラウン管に復帰し、ドラマのヒットで名誉回復にも成功。デビュー後初めて演技大賞を受賞。

以降あまりヒット作に恵まれないなど俳優人生は安泰ではありませんでしたが、2016年ドラマ「ドクターキム・サブ」で第二の演技大賞受賞。

2017年の映画「プリズン」でデビュー27年目にして初の悪役を演じました。

大学時代に歌のアンサンブルで賞を取るほど、歌唱力が高く、「八月のクリスマス」ではOSTにも参加しています。

またシナリオを重視する俳優としても有名です。

 

 

ハンソッキュの妻との結婚の馴れ初め

1990年KBS22期声優として入社したときに1年先輩だった2歳年下のイムミョンジュに出会いました。

しかしハンソッキュは芸能界への未練があり、翌年MBCにタレントとして入社し、俳優として活動することになりました。

ミョンジュとは出会ってから5年後から本格交際がスタート。

交際3年、俳優として最高の評価を受けていた1998年に結婚。

(交際暦10年としているメディアもありますが、知り合って約10年交際3年説が有力だと思いました)

1998年は「八月のクリスマス」が公開された年。人気絶頂のときに結婚したんですね!

結婚記者会見では

「私も彼女も末っ子だ。互いにそうだからなのか、一緒にいて楽だと思った。家は心地いいことが最も重要だと思う。」

と語り、奥さんへの愛情を表しました。

1999年に第一子長女、2001年次女、2003年長男、2006年次男が生まれ、4人の子供を持つパパとなりました。

日本以上に少子化が進む韓国では子供が3人いるだけでも驚かれることなのに、4人いるというのは特筆すべきもの。

「多産の王」などとも呼ばれています。

ハンソッキュは育児について

「子供を立派に育てることが自分の人生の目標でもっとも中心にあること」

「仕事で得る名声も大事だが、子供を立派に育てることが一番の成功だと思う」

「子供には期待し過ぎるな。ヨンジョ(ドラマ「秘密の扉」での役)は期待しすぎた。期待するしかなかった。期待しない父親にならなければならない」

と発言。

ご自身も末っ子だったため、ご両親から特に期待されず自由に育ったそうです。

お子さんについては「自分のやりたいことをやってほしい」とのこと。

韓国では親が子供に過干渉・過保護であることが当たり前で、自立心を育てるという点が重視されません。

ハンソッキュの「期待しない」という言葉には、「子供を尊重する」という意味で、韓国の人にはとても新鮮な考えだったかもしれませんね。

これらの発言で「名品育児」と呼ばれ、良き夫・憧れのお父さんとして大衆に刻まれました。

7年来の知り合いであり、映画「ザ・プリズン」で共演した俳優のキムレウォンは

「ハンソッキュ先輩は毎日奥さんに”今何してる?子供は?会いたい”という電話を30分もしている。」

と話し、家庭的な一面を語りました。

そのときのインタビューで、「周囲の人にもいつも温かく、俳優としてもちろんだが終始一貫していて、いつも同じ。人格が立派で、尊敬している。」として先輩を敬いました。

世間の人が思うイメージどおりの、温かい人柄のようですね。

 

 

ハンソッキュの家族問題とは?

90年代後半、ハンソッキュの影響力はすさまじく、映画の99%のシナリオでオファーがきたといっても過言ではないほど。

この時期旺盛に活動をしていたトップ俳優たちさえもこのように優先的な待遇を受けたことはなく、良好なシナリオはまずハンソッキュに最初に行って、彼が拒否した場合、ほかの俳優にまわすというのが業界でも当たり前と考えられました。

しかし、「八月のクリスマス」公開後あたりから、彼の人気にかげりがみえはじめます。

というのも当時、マネージャーを務めていたハンソッキュの実のお兄さんは、シナリオを1次検討する役割も務めていましたが、自分の仕事の範疇を超え、映画制作にまで口を出すようになりました。

ご本人が出演したかった作品を無下に断ったり、ご本人と相談なく出演すると返事をしておいてあとでギャラが少ないと白紙にしたり・・・そういった数々の行動により、ハンソッキュは映画界で避けられるように・・・。

ちょうどそのころ、ソンガンホファンジョンミンチャスンウォン・チェミンシク・イビョンホンなどのほかの俳優が頭角を現し、あえてハンソッキュでなくても演技や興行面でいい結果を出せる価値のある俳優が増え、彼の居場所はなくなっていきました。

1999年から2002年まで3年間空白期があるのはそのためです。

完全に休んでいたわけではなく、お兄さんと共に投資した「塩の人形」という映画を撮影していましたが、50%ほど撮り終えたところで金銭的、またさまざまな問題が生じ、ボツになってしまいました。

ハンソッキュが稼いだ大金をお兄さんのせいで失ってしまった、ということもあったようです。

その後、お兄さんはどうしたのか現在もマネージャーなのか、明らかではありませんが、信頼回復にかなり時間がかかることとなってしまいました。

 

 

 

ハンソッキュの人生の最高作品は?

これだけ映画界で活躍してきたハンソッキュが選ぶ最高の作品は何でしょうか?

ご自身が出演した作品の中で1998年映画「八月のクリスマス」がもっとも好きな話だそうです。

自分が出ていないものの中では

「イル・ポスティーノ」(1994年イタリアの恋愛映画)

が最高だとのこと。

八月のクリスマスは「イルポスティーノのような作品になってほしい」という気持ちで出演した、と語っています。(2017年3月インタビュー)

 

最後に

今回ハンソッキュを調べてみて、映画界で避けられていたという陰りのある時期もあったと知りました。

一度失った信頼を回復させるのは容易ではありません。大変な苦労があったことでしょう。

現在は韓国を代表する国民的俳優で子だくさん一家の主!

家庭的なやさしいパパのイメージで、これからも愛されるでしょう!!

 

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