チャンミヒは誰もが認める70・80年代を代表する美人女優で、年齢的にはマドンナや故マイケルジャクソン、玉置浩二や宮本亜門と同級生の1958年生まれ。
近年はインテリな雰囲気の役が多く、知的なイメージで主にドラマで活躍している傍ら、大学で教鞭をとる教授でもあります。
プロフィールや若い頃の画像、家族について、結婚、大統領とのうわさや学歴詐称問題についてまとめました。
(トップ画像https://news.naver.comより)
チャンミヒのプロフィール&若い頃の画像
本名:チャンミジョン 장미정(張美貞) から
↓↓↓
チャンミヒ 장미희(張美姬)に
本名を途中で変えました。
1958年1月27日生まれ
ソウル市出身
167㎝
49㎏
B型
兄と姉が一人ずつの末っ子
1976年映画「成春香伝」でデビュー
幼いころに父親が家を出ていき、お母さんが一人で育ててくれました。
1975年東洋放送特別採用タレントに選ばれ、翌1976年約276倍の倍率を勝ち抜き、映画「成春香伝」で主演デビューしました。
1977年の映画「冬の女」は58万人を動員し、当時の歴代最高記録を塗り替える大記録!
デビューしてわずかの間にチャンミヒはスター女優となりました。
20代のころ
http://www.topstarnews.net/
1980年には納税額が明らかとなり、当時の女優でもっとも高収入だったことがわかりました。
1982年新軍部執権時期に「出演禁止芸能人目録」に名前が載り、1984年までドラマ活動は中断させられることに。
その間、2回アメリカ留学しています。
1983年「赤道の花」1985年「ディープ・ブルー・ナイト」の2つの映画が成功し、特に「ディープ~」は代表作と言える作品となりました。
1998年からは女優活動と並行して明知大学で演技の講義を受け持ち、教授としても活動を始めます。これに関して
「子供時代の夢は先生だった。それが叶って嬉しい」
とコメントしています。
2000年以降は映画よりドラマに多く出演し、優雅な奥様や貴婦人役を多く任されています。
チャンミヒの家族は?
チャンミヒの兄弟はお兄さんとお姉さんがいます。
お母さんは長年チャンミヒのマネージャーを務めてきました。
お母さんもとても美人な方で、服装はいつも赤い帽子に、派手なコーディネートだったそうです。
このマネジメントぶりがよく言えば情熱的、悪く言えば極端というほど熱心なことで現場では有名でした。
ある記者の男性は
「チャンミヒの成功は99%は母親の努力、1%は本人の演技力」
と表現するほど、お母さんの力が強かったのだそうです。
ある時は記事に文句があると明け方4時に電話をかけてきたり、新聞社の前で記者を待って苦情を言ったり、またある時は記者や映画ドラマスタッフを自宅に招いて、カルグクスやマンドゥを振る舞うこともありました。
チャンミヒより8歳年上の女優キムヒョンジャは
「お母さんはデビュー当初からミヒといつも一緒で楽屋にも入ってきていた。ミヒは母親がいてもいなくても同じようにしているが、共演者たちは居心地が悪くて仕方がなかった。」
「ミヒのお母さんはおやつなどを持ってきて楽屋でみんなに配ることもあったが、気に入らない人にはくれなかった。私はいつももらえなかった(笑)。私は物事をはっきりタイプだから好かれてなかった」
と面白おかしく語っていました。
一人で子供たちを育て上げ、子供のために人生を捧げてきた方だから、チャンミヒの成功が自分のすべてだとの思いで情熱的だったのだろう、と記者たちがコメントしています。
お父さんに関しては一切情報がありません。
チャンミヒのスキャンダルとは?
チャンミヒにはいくつかスキャンダルがありました。
大統領とスキャンダル?
その一つが当時の全斗換大統領の愛人関係にあったのではないかという説。
嫉妬した大統領の妻が、チャンミヒを拉致して強制的に子宮摘出手術をしたという噂も流れましたが、本人は否定しています。
学歴詐称とは?
もう一つは2007年(49歳)のときの学歴詐称スキャンダルです。
東国大学仏教学科卒業、アメリカのホーソン大学卒とだと思われてきましたが、東国大学は聴講生だったにすぎず、アメリカの大学は未認可だと発覚しました。
2002年のインタビューで仏教学科を選択した理由について
「哲学的な理由のため。精神世界、人の内面の勉強をしたかった」
と答えていたことにも、再び注目が集まりました。
知的で優雅なイメージだったため、当時大変なスキャンダルとなりました。
学歴詐称なのに、明知大学で教鞭をとっているということも批判の対象に。
集まってきたメディアに対して
「すべての記録は学校に残っているはずですので、きちんと調べればわかることです」
とコメントしたこともありましたが、結局確認が取れないまま学歴詐称が決定的となります。
教授を務めている明知大学に電話で確認した記者の話によると
「アメリカの大学を卒業した学歴で明知大学の修士課程を踏んで先生となった。修士課程を終えれば講義をすることができる。当大学の基準を満たしているため、何の問題もない。」
とのこと。何より生徒たちにとても人気のあるいい先生なんだそうです。
学歴詐称問題に関して、チャンミヒの公式的な謝罪などは今までないものの、キャリアには何の問題もなく現在まで活躍中です。
この当時チャンミヒだけでなく、色んな芸能人の学歴詐称が問題となりました。
チャンミヒの結婚は?恋愛は?
チャンミヒの結婚や恋愛について紹介します。
婚約破棄
1981年当時、19歳年上の大手企業の社長と婚約しニュースとなりました。
当時の新聞
チャンミヒのお母さんの友達と、この男性のお姉さんが同級生という縁で知り合ったそうです。
いつ挙式の具体的な日まで報道され、フランスで密会しているところもキャッチされましたが、結婚には至らず破局しました。
結婚にはマネージャーのお母さんも承諾しており、二人はとても愛し合う仲だったそうですが、何らかの事情で結婚することができませんでした。
以降、チャンミヒは現在まで未婚。
周囲の人に「私は一生結婚しないつもり」ともらしたとか。
ちなみにこの男性も現在まで未婚だそうです。
ペチャンホ監督
1991年ペチャンホ監督がチャンミヒが好きで結婚したい、と記者たちの前で公開プロポーズし、結婚報道がでました。
これまでチャンミヒはペチャンホ監督作品に数多くキャスティングされてきました。
ペチャンホ監督によると
「チャンミヒは本当に心が温かい人。撮影時に名前も知らないスタッフや端役の人にまで、お祝い事にはプレゼントを贈る。」
とのことで、そんな姿に惚れたんだそうです。
しかしペチャンホ監督の一方的な思いだけで、チャンミヒは全く想いを寄せてはいませんでした。
この公開プロポーズに関し、「コメントする気が起きないほど自分には関係ない話」とバッサリ!
のちにペチャンホ監督は別の女性と結婚し、自分たちの出会いを映画にしています。
最後に
学歴詐称についてははっきりしてない部分が残っている印象を持ちましたが、大女優のキャリアには特に問題にはならなかったようです。
マネージャーのお母さんは現在は静かに余生をお過ごしだとのこと。
以上、チャンミヒのまとめでした。
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